脳フィルターの危うさを

 雑談。今日はたっぷり暇だったので、カフェ作業。別に学校でも良かったんだけど、小説に着手するための気合入れとして。おかげでザっとしたプロットは書けた。

 あとはwordファイルに打ち込むんだけど…いかんせん縦書きなんだよなあ。意外と人ってモニタをチラチラ見ていて、このブログをノートPCで編集していたとしても見られたりする。俺からしてみれば遠目で見たところで何書いてるかわかんないと思って油断してたんだけど、どうやらみんなばっちり本文まで読みこむものらしい。…少しそれたけど何が言いたいかっていうと、縦書きで小説書いてたらまず間違いなくガン見されてゴチャゴチャ思われるってこと。別に他人がブログだろうが小説だろうがAVだろうが何やってもいいだろって思うけど、みんなはいかんせん気になるみたいで。まあ、小説を書いている人間なんて「自分面白いです!」って言ってるようなもんだから、見ててむずがゆくなる気持ちはわかる。

 そんなこんなで小説を書きにくい理由こそあれど、時間と感性のある今にこそ形にしたいな。

 

 

 

 本題に入る。と言っても短いんだけどね。主観と客観の話。

 知り合いがネット上で「主観フィルター通さないようにしたいけどムズイ」って旨のことを言ってて、俺にも案の定グサリ。

 要は色眼鏡ですよ。俺は実はあんまり考えたことがない。このブログを読んだことのある人は分かると思うけど、別に俺って抽象的すぎることとか一般性の高いことってあんま考えないんだよね。主観と客観もそのうちのひとつで、「主観は切り離せないんだから別によくね?」って開き直ってたりする。だから、自分の瞳をカメラのレンズに近づけようと頑張ってる人は尊敬するし「すげーことしてんな」って思う。

 

 とはいえ、いきすぎた主観は怖い。今回俺に刺さったのも「俺ってもしかして誰からも共感されないようなとんでもない色眼鏡持ってるんじゃ?」って懸念があったから。自分の考えにはそれなりの理屈を盛り込んでるつもりではあるんだけど、エセ科学に積み込まれた理論風ギミックのようなものなのかもしれない。正当化するためだけに内側に設けられた歯車とバネ。最大公約数的な人間が見たら「こんな理屈は玩具だよ」と言われそうな脆い理屈。たとえそうなっていても自分では認識できないから怖かった。これがブーメランの刺さった所以。

 

 

 みんなが主観で生きてる、そして完全な客観なんてのは存在しない。世間一般的な客観とは、その場にいる人間の最大公約数のこと。主観を客観に捻じ曲げていくというより、最大公約数を意識できると良いのかもね。個がどうこういわれてるけどまだまだ世の中は群れだからよ。

 元ネタの人は多分自分の色眼鏡を認識して気持ち悪く思ってるだけだから、だいぶ話違いなんだけど。俺はそこまで自分の眼に潔癖にはなれないや。ただ、明らかに主観で解決して社会不適合してるシーンはあるからなんとかしなきゃねってだけ。終わり。