自分の信じるギャグセンス

間違えて前回の記事に今回のサブタイトルをつけてしまった、、、。前回はノロケ回でしたね。でも安心してください。童貞です。そこは変わらないです。付き合ってもないです。交際関係進捗報告以上。

 

今は出張先。朝から夕方まで現場仕事だし夜はスマホ見て寝るだけなので、筆を進めてみようかと。

 

 本題。

 実は新しいXのアカウントをネタ用兼創作用に作ったんすよ。でも周りの人のツイートを見てると疲れちゃってきて。

 多分、ギャグセンスの異なるたくさんの人の話を聞いてて疲れたんだと思う。自分の感覚と会う人ってのは青い鳥のようなものだし。

 世の中語りたがりおじさん

 自虐風含め自慢全般

 頭のいい人たちの会話

 冷笑

 身内ノリ

 …こういうのも見ているうちにまぶたが重くなってくるぜ。

 

 逆に、俺のギャグセンスの源泉であるルサンチマンとそれを燃料にして努力する反骨、現象を簡単なロジックに落とし込む等のテク、そういったものも他者からは痛くて受けを狙っていて見てられないものなのかもしれない。

 ギャグセンスに絶対的な王はいない。測れない。だから競争は必要ない。でもきっと自分の信じる方向性を信じて磨き続けないとな。もっと広くするか深くするか。その過程で、自分が何を思っているかた相手が何を思っているか(感じるか)をシンプルに把握できたらね。

 とりあえず、俺は他人のツイートをたくさん見ているうちに「自分の考えを固めなければ」と思ったので、こうして記事を書くことにした。

 インプットも、もっと体系的に学んだ方がいいと思う。相手の思想・相手が何を考えているかは1人の相手と話し続けなければ見えてこない気がするので。少なくとも1つのコンテンツを全うする必要性をxから感じ取った。

 おわり。

 

 

 

 にしても、「自分がおもしろい・賢いことを言っている」と思っている人たちが集まって好き放題言ったらなんとも言えない雰囲気になるんだね。もっと広く受けるテクと深く伝える方法を身に付けないとな。