祝福としてのギャグセンス

 サブタイトルは以前間違えてつけたもの。

 今回は本当に書きたかったことを。

 

 人に面白いと思わせる能力、ギャグセンスと俺は呼んでいる。そんな能力の話。

 

 どうすれば面白く感じるか、それは既知と未知の混合だと思う。なんでってのは置いておきたい。面白いと思ったギャグを分解するとどっちも入ってるんじゃないかな。

 

 んで、既知と未知の段差を作るには相手との段差ができていないといけない。もっと言うと、局所的にでも相手の知らない範囲をカバーするなり意識の外側を引っ張って来る必要がある。

 その源泉は経験。知識的な経験もそうだが、心理的な経験。なぜなら面白さが相手に伝わる直前には必ず共感させる行程が挟まれるから。相手の心理・気持ちに合わせた情緒的アプローチをすることで面白さが伝わる。

 いや、理屈だけで情緒絡ませずに笑わせられることもあるだろ!って突っ込まれそうだが、まあまあまあ。

 

 心理的な経験が面白さの源泉となる。だから色んな経験をしてる人は面白くなるリソースがある。

 

 経験のある人間ってのはそれなりにいる。というか、極論みんな同じ時間過ごしてるんだから取捨選択の違いでしかない。綺麗事を話せば経験は人それぞれなのに、どうしてギャグセンスに差が出るのか。

 

 

 答え。そもそもギャグセンスを欲しないと強化されないから。人間は気持ちよくなるために社会に居場所を探す。承認されに行く。仙人みたいに人と関わらず食べ物あればいいって人もいるんだろうけど、大体はそこまで強くないからね。何かしらで自分を納得させる。

 運動神経、容姿、頭脳、仕事、友人、家庭…何かしらで自分の居場所を見つける。一番じゃなくたっていい。周りに承認されて自分が満足すればいい。

 そういった能力のない人が縋るのが面白さだと俺は思ってる。何も持たない人間が縋るアイデンティティ。その段階までろ過される人間は少ない。そしてろ過されてからも「別に承認されなくてもいいや」って思える心の強い人もいるから尚更ギャグセンス専業は少ない。

 や、そんなことないよ。面白くなりたい人たくさんいるって!って思うかもしれないけど、マジでそんな人少ないよ。自分を面白いって思ってる人は多いけど。

 

 次に大事な要因として、ギャグセンスの成長は感受性に左右されること。心理的な経験は、自分の気持ちが動かないと発生しない。だから、メンタルが馬鹿みたいに太いと何も効かないメンタル塗り壁になってしまう。感動しないと感動させられない。痛みは身を持って知るように、共感させるには自分も気持ちを知らなければならない。

 

 以上を踏まえるとメンタルが弱くて他に取り柄のない人間はある程度素質があることになりそう。

 

 もう流れ読めてるだろうけど、俺がその、メンタルが弱くて何も取り柄のない人間ってこと。そして普段から挑戦して負けてを繰り返して心理経験を積んでたりしてる。本当は勝ちでも詰めるんだけど純粋に能力不足で勝てない。そして、タチの悪いことに負けることで得られる経験の方が価値があるだなんて思っている。

 

 負け続ける体力と能力があって、メンタルの弱い自分はギャグセンスに祝福されていると言っていいだろう。

 や、ホントは容姿端麗運動神経抜群で楽に生きていけた方がいいんだけどね。