好きな人とかいる?(手に顎を乗せながら)

 なんかここ数日で俺から見た周囲の状況も俺自身のメンタルも大きく動揺してきた結果、きな臭い記事が量産されることになった。自分で読み返してみても「こんなのできるわけないだろ…」と半ば呆れてしまう。でも、目標は決まったわけだから良しとしよう。ただ、やっぱりブログ自体が胡散臭くなってきたから別の話もしたい。だから別の話題いこうぜ。

 

 

 とは言ったものの、出てくる話題はやっぱネガ。最近気になっていることとして人間の好き嫌いがある。俺は長らく似たような環境にいるからマッチング回数自体が少ない。そのせいか自分のタイプが全く想像つかなくなっている。この間も友達と話している時に「お前って人間に何を求めてんの?」というシンプル質問にたじろいだ。好みもよくわかんないし欲もイマイチわかんない。だから考えてみる。

 

 

 以前俺はこのブログで人物評価を面白さという物差しで統一していると言ったが、実のところお笑い的な物差しではなかったらしい。最近意識し始めたことだから過去の言動と矛盾しているかもしれない。面白師としてストイックでないような気がして少しショック。じゃあお前の言う物差しってなんなのさってのが今日のテーマ。

 

 現在の俺と付き合いの長い人間は、俺のことを気に入ってくれている人だ。思い上がりかもしれんけど。そして、俺が気に入っている人という条件によって成立。俺自身もそんなに好きじゃない人と物理的に離れてから連絡を取り合うような社交性塊タイプではない。少し長くなったけど、実際に仲の良い人間はおそらく両想いだ。仲良くしてくれているだけの人が読んでたらごめんけど。

 

 そうなってくると、俺が気に入る基準。多分前提条件が、相手が自分のことを気に入っていることだろうな。俺はチェーンソーマンの主人公と同じく、自分を好きな人間が好きだ。逆に、俺は友人関係において片思いすることはあんまりない…気がする。中高生くらいの頃は結構多かったんだけど、次第に相手からの温度を感じられるようになったからね。今は愛想のいい女の人とか後輩に対しては申し訳ないが分厚い壁がある気がする。それでも「愛想を良くしてくれている」ということへの感謝はあるんだけど。

 

 

 

 

 もう一つの条件。俺の話を聞いてくれる人だ。これは帰納法的な導出。長い間仲良くしてくれている人は大抵、自分の話を聞いてくれる。そして、なにかしらのジャンルで気に入ってくれている人。ギャグ話や抽象的な話、あるいはウジ虫話。人によって好みはあるけど、全部のジャンルで「面倒くさいけど聞いといてやるか…」って思ってるよな人とは自然に疎遠になっている…気がする。 

 これも、「ただただ話を聞いてくれる人」との判別が難しいんだよなあ。昔はとにかく話を聞いてくれる人全員と仲良しだと思うモンスターだったから、ずいぶんと迷惑かけた。うーん、返しの頻度や表情をはじめとする反応だけが基準だと良くないし…。一応は「他の人との相対的な態度」もあるけど、コレ始めちゃうと「一番じゃないと諦める」癖が付きそうだからやってない。現実的な基準を挙げるなら、誰にでも愛想のいい人間に対しては「相手からのアプローチ」を基準に置けばいいと思う。人気者タイプは忙しいから、好かれていない限り向こうからやってこないって理屈ね。受動的スタイルによる機会損失っていうデメリットもあるけど。

 

 

 こう考えると「お前面白好きって言ってたけど実際はカマチョじゃん」って思うだろう。俺も思った。結局自分の話を聞いてくれる人間が好きなんだなって。もっと踏み込めば俺の話を好きな人が好きなんだろうなって。んで、こういう人のことをどうして俺は今まで「面白い」と評価していたんだ? おそらく、「向こうからのアプローチに俺が俺なりの返事をする⇒向こうが良い反応をして返す⇒俺がノリを感知して面白ムーブする」って流れの共同製作者である相手を「面白い」と思ったのだろう。多分。要は自分の感性に合う人間を選別していたということだ。セッションした人間だけを評価するし、セッションの良し悪しを決めるのは俺の物差し。なんというか自分がしたい面白ムーブに付き合ってくれた人を「面白い人」と評価してたって考えると、滅茶苦茶自己中心的だな。

 現に俺の好きな人に「一方的にお笑いムーブする人」は少ない。今まで関わってきた人の中にいたのだが、俺はイマイチはまらなかった。俺自身、完全受動でお笑いをされても相手のことを好きになれなかったんだろうな。自分とマッチングするかどうかとはほぼほぼ無関係な押し付けムーブに近いから。

 

 

 

 

 

 結論がそろそろ浮かび上がってきた。はい、俺の好きな人は、俺を気に入ってくれている人かつ俺の話を好きな人です。そういう人は多分俺と真の意味での会話をしてくれるだろうし、それを俺は面白いと思う。俺の中の面白いって相性だったんだなって。それを測るのが会話。好き嫌いの物差しが相性だってのは同値を唱えてるような気がして気持ち悪いけど。じゃあどんな人が相性がいいの?どういう人と会話が合うの?ってなってくると、少しややこしくなってくるから割愛で。

 

 

 

 おまけ。少し視点変更してみよう。「俺のことを好きだけど俺が好きじゃない人」の存在について。これについては絶滅危惧種だしなんならツチノコ。見たことがない。俺は大体好意を示されたら好意で返すようなチョロ男だし、そもそも好きになる人の幅が狭いからね。余程関係の浅いような人を除くと0なんじゃないかなあ。なので、ファンにとっては朗報かもね。まあ、このブログ読んだ時点でファンクラブ脱会してアンチクラブに入会しちゃうんだけど笑。最近記事の内容が重かったので今日はこの辺で。以上!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑。今の環境で俺が好きな人ってなると、わからねえ…。古くからの仲の、付き合い良くしてもらってる友達はいるけど、多分俺の話が好きなワケじゃあないんだよな(そもそも話の相性が悪くて会話が成立しにくい)。他にも話を聞いてくれる後輩がいるけど、多分マッチングしているというよりかは相手の適応力がすごいだけだと思う。どちらにしても感謝はしてる。こういう人が付き合いをしてくれないと目に見えて孤独だからね。

 好かれてるかって点ではゼロに近い。まーじで話しかけられないからね。たまに挨拶を向こうからされて感動するくらいには。話しかけられないってことは俺の話を好きな人もおそらくだがゼロに近いんだろう。そういう点で、悲しいけど俺が手放しで好きになれる人間はいないのかもしれない。「この人面白いキャラしてるし俺の話聞いてくれるな~(でも向こうからはなぜか来ないんだよなあ…)」っていう片思いが起きうるくらいだ。