信頼と言う名の開き直り

 論文。なんか先週末にひと段落ついてから燃え尽き気味。研究室に来ているものの遊んでしかない。こういう日の積み重ねが自分の首を絞めていることは知っているんだけど。土日で激動が起きたからかな? とりあえず今日もこの記事を書いてから論文のテキストを弄ることとする。

 

 前回前々回のおさらい。…ってもういらねえか。ここ数年「許してくれていた人達」に甘えすぎた反動で、今年は滅茶苦茶なことになった。これから社会人になる俺に、人間関係の最後の授業をしてくれている気分。コミュニティとのマッチング度合いというのもあるのかもしれないけど、それを差し置いてもこの度のお仕置きはタメになった。コミュニティで生き残るために来年からはもっと頑張るよ俺。

 

 

 もう集団単位での戦略については昨日一昨日で十分考えたし疲れたので、今度は1対1での戦略を考えようと思う。元々この部分についてはそれなりに自信あったんだけど、今回の件で揺らいでるという背景があって、少々考え直したかったのよ。

 

 

 これまでの俺の戦略は、自分の面白さを押し付けるタイプ。相手の性格に合わせた上で相手の言動を元に大喜利する、相手の話は話半分に聞くというスタイルだったけど、最近疑問点が生じた。

 自分が相手に何も求めていないという点だ。厳密に言うと相手に合わせて何を言うか考えてるんだから相手次第なんだけど、別にコレって自分からしたらどんな相手でもいいんだよね。こういうテキトーな対応を続けていたら相手から戦略が見透かされてしまうのではないか、そう思った。

 何が自分のタイマンに足りていないか。信頼なのでは?よく聞く言葉「信頼しないと信頼されない」が俺を疑心暗鬼にしてる。俺人のこと信じてるのか?いや、信じてない。というか信じるってなんだよってレベル。信頼を掘り下げて細かく言語化していくか。

 

 

 以前ブログに書いたと思う。信頼とは相手を自分の都合よく決めつけることだ。例えば俺達は普段見知った人と会う時に武器を持たないし戦おうとも思わない。これは、相手に敵意がないことを自分の中で都合よく決めつけているからだ。こういう信頼を積み重ねて俺達は社会をやっている。

 人によって「信頼している」と言える閾値が変わってくるだろうけど、俺の場合は多分他人よりも閾値が低い。相手の口から出てくる言葉をそのまま信じるようなことはあまりない気がするし(それでもバカだから色々信じてしまうんだけど)、陰口や見下しなどの悪意に対するセンサーも稼働している。取っ払うのは仲の良い人。そういう人相手には「この人疑ってもどうにもなんねえし信じることにする」ってスタンス。要は壁が厚いってこと。

 そりゃ自分に最も都合よく決めつけをするなら「相手は自分のことが好きだし決して裏切らない」というレベルだけど、こんなに信頼を寄せられる人間は育ちが良すぎるかメンタルが太すぎる。人間関係で傷つくことなんてごまんとあるし、自分以外に原因があったり一方的に傷つけられることもたくさんある。それでも「いい人!」と割り切れるのはもう精神が無敵。

 

 

 

 はい、何でも信じるマンについてディスを入れたけど、実のところ今回目指す目標はコレです。そう、俺の場合もっとメンタルをタフにして「傷ついてもいいや」と開き直ることが大事だと思う。信頼関係における守備力を上げるのだ。

 カスみたいな嘘をつかれたり陰口をたたかれたりハブられたりしても、別段人生に与える影響なんてのは微塵もない。死ぬこと以外はかすり傷とまでは言わないけど、実際そこまで他人の悪意に身構える必要はないのではないかと最近思えてきた。

 

 一番の理想は何でも信じるマンだ。だけど、期待を裏切られまくっているのでは精神が持たない。だから、相手の悪意をある程度認めた上で許すプレイングの方が自分の性に合っていると思う。

 …諦め先行型とかいう性悪説モロ出し&上から目線の嫌~なタイプだけど、信頼関係の守備力を自分なりに上げるにはこれだと思う。今までもそれなりの悪意にさらされてきて鍛え上げられてきたと思ってきたが、あくまでもHPが伸びているだけだったのだ。ポケモンで言うHPと防御の関係。HPが多い人は傷ついても壊れるまでに時間がかかる。防御力が高い人はそもそも傷つかない。俺は今まで前者だった。ちくちくブログに書くような脆さの癖に精神を病むようなことはなかった。だけどみんなが求めているのは鋼メンタル。精神鋼タイプだ。防御だ。「そもそもこれぐらいの嘘悪意陰口で傷つかないでくれ~い!」ってワケ。

 

 正直今まで色んなことに気付いたり反省できたのは自分の脆さがあってのことだけど、さすがに脆すぎて人間関係上不利になるから防御力を上げようと思う。理想的なのは「効いてるけど痛くない」という程度。蚊に刺されるのは感じたいけどいちいちムヒを塗らない程度の鈍感さが欲しいって感じ。まあ、鈍感になりすぎて~ってのは今の自分からしたら想像つかないけど。

 

 

 

 次、信頼の攻撃力。悪意に強くなるのが守備力だとすれば、相手をポジティブにとらえるのが攻撃力。正直伸ばし方がわかんね~。だって悪意モロ出しの相手に対して「コイツは俺のことが好き」だなんて思えないでしょ。うーん、もう相手が自分のことを嫌っている前提で話を進めているあたり終わってるな俺。

 もっと俺にできるレベルで話を進めよう。そう、敵味方判定。俺は対人関係で基本的に敵味方、両方でもない、と3分している。基本的にみんな両方でもないんだけど、人によって味方になったり敵になったりする。こっちが勝手に決めつけてるだけだから、ただただ神対応マンを味方だと勘違いしたり、態度が悪いだけの人を敵だと勘違いすることもある。この”敵”判定を狭める。ここから始めようか。

 今までは悪意を見せた相手を敵だと思うようにしていた。こちらが仲良くしてるのに悪意をちらつかされたら嫌だからだ。完全にここは自己中心的だ。当の自分は「俺は悪意だと思ってないから~」という行動基準なのに対して他人には「俺が悪意だと思ったらお前は敵」なんだから。悪意に嫌悪が入ってるから、俺を嫌っている人間は敵になっちゃうし。敵作りすぎてバーサーカーみたい。

 改善案として、自分を害そうとする人間のみ敵認定しようか。悪意や悪口はまあいいとして、実際に嫌がらせを受けるまでは敵視しないでおくというスタンス。というか人に嫌われるのは俺が悪いのも大いにあるんだから、本来はこうするべき。

 

 こうなると一つ問題が出てくる。自分を嫌っている人間に対してはどうするの? 嫌われてるなら、傷つけられる覚悟と相手に対する「俺のこと嫌いだけどいい人!」って思い込みがあっても、発展性が薄くはないか?  相手も「嫌いだって言ってんじゃん」って思うかもだし。 これについては「嫌い合ってる」より「一方的に嫌われる」方が関係が悪くなりにくいから、我慢した方がいい。って言うか嫌われることを怖がり過ぎてるんだよなあ俺。

 

 

 

 まとめ。対人関係を構築するにあたって俺に必要なのは信頼なのではないか。相手に何も期待してないし悪意に身構えてばっかり。やりにくいったらありゃしない。だからもっと人間を信じるようにしようねって話。信頼の防御力は「傷つけられてもいい」という覚悟に基づく許容。そして信頼の攻撃力は相手をポジティブに捉えること。悪意ちょっと向けられたくらいで敵認定するなってコト。 こうしてまとめてみると攻撃も防御も似たようなイメージになったが、共通項で言えば許容だろう。沸点の低い奴は嫌われる。だからもっと許すべし。今日は以上!

 

 

 

 

 

 

 

 

 書いてて思った雑~な話。これは一応弁解なんだけど、俺実はこのブログに出てきた人基本的に全員許してます。虐待した父親もケンカした彼もブロックされた彼も、他みんなも。攻撃的な意思はあれど、向こうから永続的な敵意が続いている訳じゃないし、何より痛みに慣れた。許容の程度が低いかもだけど、殆どの人と普通に挨拶や世間話はする。…あんまり挨拶されはしないんだけど。

 ただ、許していると言っても、「この人はこういう人間」という評価が少しグレードダウンしてる。あと、やっぱり嫌悪の意思がハッキリ示されている時は申し訳なさを感じるとともに「嫌いアピした方が偉いのかよ?」ってむかつきもする。

 こんな現状を踏まえた上で、「悪意きち~、まあいいけどさ」なんて繊細ぶって不貞腐れてる奴はそりゃ仲良くできないわなって思った。だから今回の記事ができた。今回の記事の内容を実施したところで、少しタフになって人を嫌いになりにくくなっただけなんだけど、これもまた一歩ということで。