これで軽度だってんだから困るよねえ

 雑談から。今日も今日とて14時に登校。もう土日とか関係ない。リミット迫ってきてるのにまだ8時間睡眠ができるのは嬉しい。

 ただ、出発するともう日が傾いていて憂鬱。「ああ、今日も帰りは深夜か…」って感じ。そんな中カーオーディオを流すと「Cagayake Girls」が。この曲は古の深夜アニメ「けいおん」の主題歌である。女子高生4人が軽音楽部を結成してバンドやるっていう今でこそありきたりな内容だが、この作品はそういう4人組系の始祖とも言える存在であるのでおとがめなし。歌ってる曲はいかにも平和ボケしたような青春ポップ。

「はあ…」って思いながらイントロを聴いていたのだが、歌詞に入ったときに衝撃を感じた。こんないい歌だっけ? ここから聴きながらの分析が始まる。耳障りが良くて軽快なメロディ。女子高生の雰囲気がダイレクトに伝わる歌詞。2つがマッチして「今を全力で楽しんでいる女子高生たち」を耳で感じた。日が傾く中、24歳の俺がそれを聴いているという事実を客観視して泣きたくなった。もちろん女子高生にはなれないが、あの高校時代の楽しかった日々はもう…ってね。いや、あんな青春じゃなかったけど。

 初めてけいおんを見た小学校6年生の頃は「平和ボケしたこんなアニメ見て何がおもろいん?絵とか歌はいいけどさあ」って半信半疑だったのだが、今見返してみると郷愁の念で心が動いてしまうのだろう。夕方の放課後シーンとか、夜に家で友達と電話するシーンとかさ、それだけでお涙ぽろぽろ。日常系が好きだという人の気持ちが少しだけわかった。

 

 

 

 一般受けの良さそうな雑談(自分で言うか?)の次は、激つまんない自分語りでえす。はい、今日のお題は発達でーす。ASDでーす。コレを読んでいる人がランダムなら10人中9人が「俺は健常者だから興味ないぜ」って思っているはずなのに、またガイジ記事書きます。しつこいね。

 

 俺は朝の日課の5chまとめブログを見ていた。その中で「発達障害ASD)とかいう『人から嫌われる才能』だけはずば抜けた存在」という記事タイトルを発見。秒でタップしたね。こういう記事の中には「ASDがどういう状態か」「ASは周りからどう見えているか」「Aはどうするべきか」などの情報が得られる。もちろん無責任な主観の寄せ集めだから信ぴょう性なんてものは全くないのかもしれない。一度でも学問を触ったことのある人なら「信頼できる雑誌に掲載された論文じゃなきゃダメだろ」とか言いがちだけど、こういう人マジで頭岩タイプ。じゃあお前はさ、ASDの全貌が描かれた論文を探せんの?探せるわけねえよなあ?! だってそんなのまだないんだもん。

 

 ASDという名前ができたのが2010年代で、まだ研究が進んでいないというのが大きい。というか人の頭ん中なんて研究しやすいワケがないから仕方ないんだよなあ。っつーことで、ASDについての知見を深めるには論文で言われているわずかではあるが確かな情報を基に、主観を集めまくって集合知を作るのがいいと思っている。というか現状コレくらいしかねえだろ。

 

 はい、情報ソース価値の話は終えて、元の話題に戻りましょう。こういう歯に衣着せないASDに関する主観を集めるのが俺の趣味です。今日も今日とてボコボコにされに来ました。

 じゃあ記事に書かれてる要点まとめっか。

 ASDには軽重とタイプが存在して、まずタイプとして孤高系(こだわり最強人付き合い大嫌い)と正義マン系(頑固おやじ)とアスペ系(距離感と空気の読みがカス)の3種類いる。軽重とは客観の度合いである。軽度であればある程度自分の言動行動を鑑みることができるし他人に合わせることもできる(低ストレスで対応できるってコト)が、重度であれば自分がガイジだということに氷山の一角程度しか気づくことができない(嫌われてることとかにも気付きにくい)し、他人に合わせるのもとても疲れる。ASDと言っても種類が豊富なのだ。というか元々高知脳ガイジを総称しようとしてASDって言い始めたんだから色々いて当たり前。

 

 んで、もう説明不要だろうけど俺はアスペ型の軽度。多分。そう願ってる。

 

 他にも記事内で言われていることとして、努力で性質を変えることができないってコト。これは有名な話。よく「心の病気なら意識で変えられるだろ」とかうつ病患者に言いたそうにしてる強者いるけど、はい、無理ねって話。これはもう血液の色みたいなもんやから。

 

 次の言及へ。耳に新しかったのが、「攻撃的なASDいるよな」ってレスに対して「アスペタイプが社会適合できないし社会を一番壊してて嫌われる、だから社会に対して憎悪と被害者感情を抱く」と返されている場面。俺がブログ記事でやっていることを客観的に見たイメージピッタリ。空気とか常識とか普通とかによって窮屈な思いをさせられているから、社会適合者が形成している社会を嫌ってるってもう俺なんだよね。

 狼の群れに豚が入り込んだってイメージでいいよ。豚はキショいしブヒブヒ言って狼を嫌がらせる。そんな奴は狼の群れには入れてもらえない。だから豚は狼を憎む。うーんここまで書いて思ったが、なんで被捕食者が捕食者の輪に入ろうとしてるんだ。あと生態系ピラミッドからして豚の方がマジョリティでないとおかしい。マジで俺たとえ話下手くそ。

 

 次。自覚があるアスペが辛いって話。必要以上に気を使ったりするからね。ってそれ俺じゃーん。軽度は軽度で辛いよね。結局種が違うから健常者の集まりで仲良くもなれないし。同じこと思ってる人がいるってだけで少し嬉しいね。現状改善されるワケじゃないけど。

 

 最後。アスペ同士だからと言って仲良くなれるわけではない。これは正直目を背けていた事実。そうなんだよ。社会の敵同士でも味方じゃないの。ヤクザ映画と同じ。敵の敵だとしても敵になっちゃうの。嫌われる才能は誰が相手でも発動。悲しいかな。

 俺も以前アスペに会ったことがある。まずは診断済みの人。これは重度のADHDと併発していて厄介だった。行動言動自体がコミュ内で浮いていたのだが、その不和の種を育てたのがADHD特有のだらしなさだった。生活態度を悪くするADHDが不和を嫌悪にまで成長させてしまって、最終的には彼はコミュにいられなくなった。正直俺の方から見たら、生活態度の方を改善させることができるのであれば問題なかった。そりゃ無意味にグサグサと突かれたり全く関係ない話題に持ち込まれたり本人だけが好きな話題を延々話されたりするのは異様だったけど、俺自身はそんなに気にならなかったから。まあ俺が先輩だってのもあってレッドゾーン級の悪さに関して注意できたというのもあるし、ガチのマジでヤバイ行動言動は年齢差もあって抑えていたのだろうけれど。

 もう一件。アスペかどうか怪しい人もいて、周りはみんなアスペだって言って後ろ指差されていた人がいた。彼は興味のあることをよく喋るタイプの人で、よく人がゲームしているモニタを見ようとしていた。見た後は「何のゲームしてるの」といった毒にも薬にもならないことを言う。ガキの頃兄貴がゲームしているのを見ていた時みたいだ。ゲームについて何もわからないからボーっとみたり雑な質問しかできない。そんな懐かしい時代を思い出させた彼だったが、周囲からは「妖怪モニタ覗き」と陰で言われていた。俺はかなり悲しい。他サークル等のコミュニティで彼と同じだったわけではないから、他で何か悪さをしていて好感度を下げているのかもしれない。だが、少なくとも俺のいる身内において彼は人畜無害だった。だけど少し変わった態度をみんな嫌がっていイジメようとしているのだ。つらいね。俺から見れば、ムーミン一家以外のムーミン谷の住人が疎まれているのと同じように見える。トーベヤンソンの世界なら彼は楽しく過ごせただろうに。

 

 

 

 以上で5chまとめブログの感想戦を終わる。今回も読んでいてボコボコにパンチを受けた。でも、いかにもその通りなのだ。言葉にならない不和がそこに言語化されているのだ。信じざるを得ない。

 

 んで、本記事のタイトルに立ち返るのだが、俺って軽度なのよ。こうやって客観視をある程度できている時点で軽度なのよ。「いやお前もお前の客観ぶってるのも相当ヤバイぞ」って言いたい人がいるんだろうけど、世の中にはもっと重度の人がわらわらいるる。それは見たことがあるよね。よって、俺が重度を名乗るのもおこがましいからやっぱり俺は軽度だ。

 そんな俺でもコミュニティに悩まされているし彼女なんてできない。クラスに1人という高確率で存在する人間がコミュニティに苦悩しているってやばくないか?

 1%なり3%なり10%なり言われているが、どれにしたって多くの人数になるのは間違いない。どうして神様はこんな高確率で敵を配置したのだろうか。それとも、数パーセントを敵だとみなす社会が形成されたことが悲劇なのか。

 …どちらにしたとしても、いつもと結論変わらねえから陳腐!以上! ごめんなさい、別に読んでいて衝撃的な展開もコペルニクス的転回も何もないです、いつもと同じ結論なのでこれが小説なら酷い出来です。でも、読んでくれてありがとうございます。これが俺の嘆きです。