卒業の時期近づくか?

 思い付きで書くことだから雑談ナッシング。いきなりぶっ飛ばしてくぞ。そして短いぞ。

 

 twitteerのタイムラインを見てたら「こんな男女の人間関係とかいい加減卒業しろよ、いい歳したオッサンが人間関係でワイワイしてるのと同じだぞ」ってツイートをしてる人がいた。察するに、その人の属するコミュで誰かしら浮ついて噂にでもなったのだろう。確かにアラサーが話すには遅すぎるしオッサンが話すのも違和感。いつまでも男子校のノリをしてんなよ!って言説にはアグリー。

 

 この件を元に、ブーメランを投げてみる。ささる。少し違った形で。

 俺はこのブログに人間関係のことばかり書いている。男女関係よりもっと初歩的な話。友達ができるできないとかイジメる虐められるとか気を使う気を使われるとか。今はノリノリでこんな記事ばっか書いているが、こんなことが書けるような人間関係に身を置くのもこれが最後なのだろうと悟ったのだ。次に入るコミュニティは会社で、他に入るコミュニティなんて関係性の深さも高が知れてる。そう、親友ができることも親友を作ろうと頑張ることももうないのではないかという危惧。もう人間関係でやたらめったら悩まなくていいし、逆に友達を頑張って作るようなドキドキした気持ちにもめっきり出会えなくなると思うと悲しくなる。 

 もう周りの人間は人間関係を作る時期を終えて、熟成を待つなり家庭を持つなりする段階に入っている。25歳で友達を作ろうなんて浮ついているのは日本社会で俺ぐらいのものなのかもしれない。大抵は学生時代の友達で十分だしね。いや、俺もお世話になってるし楽しいけど、もっと足掻いてみたいなって。というか、人間と関わって精神的成長しなきゃ俺はいけないからさ~(言い訳)。

 

 とまあ、人間関係で悩むという時期を終えようとしていることに寂しさを覚えてんのよ。普通の人間ならもっと前に終わってるはずなんだけど、俺はズルをして延長させてもらったからな。 

 

 

 終わりを迎えようとしてる寂しさってのが一つ目の話。もう一つの話は、俺がこういう心理を忘れるんじゃないかってこと。なんだかさ、こういう拗れてた時期のことって忘れたくないよね。俺は自分が中学生や高校生だった頃の心情を忘れてきて、理屈こねくり回すようになっちゃったからさ。若かりし頃の感情を忘れて、精神がオッサンになるのって悲しいなって。良く言えば成長なんだろうけど、悪く言えば退化だと思う。人間が進化を続けると足の小指がなくなっていくように、新しい環境に適応する精神を得る代わりに今まで使っていた心を捨てるというのは、お気持ちハンターの俺としてはすっごい嫌なの。 おまけに、若者のこういう心理心情を小説にしようとしてるんだから絶対忘れたくないでしょ。

 

 後1年2年もすれば俺はマッチングアプリで出会う女がどうこうみたいな言葉しか漏らさなくなるのかもしれない。良くも悪くも友達よりツガイを見つける必要性に駆られた環境に適応して、求愛ダンスしか踊れなくなっちゃってさ。

 

 人間関係時代が終わるって寂しさと、心が勝手に切り替わることの悲しさを感じましたとさ、おしまい。

 

 まーじで小説書きあげなきゃな。少なくとも次の新人賞には出すぞ~。スタートが遅すぎるから専業は無理だろうけど、ちゃんと形にはしたいよな。