一人のやつ大好き

 これは俺のよくもあり悪くもある趣味である。  

 街中を友達と歩いているとか友達と向かい合って飯食ってるとか以外は、一人でいる人に話しかけることがしばしばある。

 一見ボッチに優しい人のように見えるが、実際はそんな善意ではやっていない。完全に俺のエゴでやっている。この奇行について自分で少し考えてみた。多分いくつか動機がある。

 

 まず、一人でいる奴は話しかける俺を無碍に扱えない。つまり、ちゃんと相手してくれる。空気の読み方や気の使い方も1オン1なので楽。話し相手が欲しい時は適当なグループに入るのではなく一人でいる人に話しかけた方がずっとマシなのだ。人と話したいときは互いに1人にさせるに限る。

 

 次に、一人でいる奴と話した方が面白い。上の理由の延長線なのだが、会話が進みやすい分、色々好きなことを聞ける。そして相手もそれなりに吐いてくれる。だから相手の深いところまで踏み込みやすい。ガッチガチに心を閉ざされている場合は苦戦になるが、その中でもやはり1オン1の方が情報量が多くなる。

 

 加えて、楽に会話にこぎつけるというのがでかい。こちらが一人、相手がグループだとどうしても「入っていいのか?」と気を使ってしまうし仮に入れたとしても郷に行けば郷に従えと言わんばかりの他人行儀を始めてしまう。俺側がグループだとしても、相手もまたたくさんの気を使ってしまってダメだ。というか、コミュニティなんて排他の要素の方が強いんだから新参者は居心地悪いに決まってるだろ。

 

 俺も相手も、孤独を解消するならタイマンが一番楽だ。孤独な自分も、一人でいる相手に話しかければそれで終わり。一人が辛いという世界なら、これだけで終わるのに、コミュニティの内側しか見えていない人間は排他的でどうしようもねえ。俺自身が社会不適合者だからか、良い時代になっても古い社会様式をやっている人間達を見ているとそう思ってしまう。社会から弾かれた人間だから社会を客観的に見ることができるって感じ? かっこよく言っているが正味社会不適合者の独りよがりなライフハックでしかない。

 もう一点最後に追加するなら、俺が人間不信であるというのもでかいかもしれん。人間とそこそこ仲良くなっても、味方だと思うことがない(思わないようにしている)ため、掘り下げるより広くする方が効率がいい。本当に欲しいのは味方なんだけどね。

 

 まあ、つまるところ社会不適合者の俺が楽しむためだけに、俺は一人でいる奴に話しかける。私利私欲がたまたまかみ合うってだけ。もし俺が社会大好き猿山人間であったなら、やはり一人でいる人間には話しかけないだろう。