激やばインプットしたぜ

 まず雑談から。昨晩は自室にずっと籠っていた。リビングに行きにくいと思っていたのもあったが、もっと大きな理由がある。ギャルゲをしていたのだ。先週から始めたギャルゲ「cross channel」の佳境を迎えたので、夜をたっぷり使って全クリしてしまおうとしていた。結果、終わったのは朝8時。12時間近くギャルゲをしたのはこれが初めてだ。目も脳も背中も疲労困憊。集中力も途切れ途切れだったと考えると、終盤をもう一回プレイする必要がありそうだ。面白い作品だったから周回モチベ自体はあるが、疲れたのでまた今度ね。 

 相変わらず紙芝居やゲームブックだなんて揶揄されるが、やっぱり俺はビジュアルノベルというコンテンツ自体は良いと思う。音声読み上げにBGM、既読スキップ機能、奇麗なイラスト、任意の場所からすぐにやりなおせるロード機能。エンターキーひと押しで予想外のテキストが出てきて急にBGMが変わる、そんな不意打ちじみた展開なんてギャルゲだからこそ為せる技だよなあ(本は先の文章とかチラチラ目に入るしね)。やっぱりメリットは十分にある。ただ、キーボードが壊れるくらい特定のキーを酷使する仕様は指にとってもPCにとっても嫌だけど。

 昨今のギャルゲは採算が取れなかったりするみたいだけど、もしプログラムや音声にコストがかかってるのなら、ゲームブック形式で販売するのもありなのかもね。ギャルゲのシナリオが好きな人はついてくるかも? あくまでもゲーム性にこだわった物に限るけど。ヒロイン選択するだけならオムニバスというものがあるから。はい、素人がごちゃごちゃ言うのはここまで。

 

 

 

 

 本題、と言っても今日はいつもみたいなリアル人間関係を切り取ったものを書くつもりはない。作品をプレイした感想文のようなものを書く。とはいえ、今回の作品がどういう内容かってのを事細かに書いて考察するのはもう他の誰かがハイクオリティでやっていることだ。俺のレビューは、作品をやってどのように感じたかに焦点を当てたい。いや、それももう「○○ 感想」って検索すればたくさん出てくるんだけど。

 

 

 

 今回やったゲームには大きく分けてストーリーとキャラとシステムの3要素とメッセージのメタ要素がある。ストーリーは時空と同値。桃太郎で言うと古い時代の村で鬼の脅威に遭っていること、そして桃太郎が鬼退治に行くってことかな。キャラは各個人の内面と背景。システムは「鬼が島に行くためには船が要る」とか「黍団子を持っていれば味方になる」ようなもの。メッセージはストーリーを通して作者が言いたい事…って言わなくてもわかるか。

 これらの要素のどれに比重が置かれてるかってのは作品によって異なるけど、おそらく本作品においては メッセージ>ストーリー>キャラ>>>システム の順だと思う。 メッセージがあってストーリーが書かれて、そのうちの何割かはキャラクターに分割される。本作品に置いてストーリーは主人公、ストーリーを補強するのが各ヒロインってワケ。一部そんなに機能してないヒロインもいるような気がするけど、まあ商業作品なら仕方の無いことだと思う。 最後にシステム。これはいうなれば整合性を持たせるためのギミックだ。多分多くの作品システムはストーリーの従属関係だろう。それこそ、ギミックを優先させた有名作品ってバトロワ異世界転生くらいじゃないか?

 

 さて、そんな解剖をしたところで俺が着目するのはメッセージ~キャラまで。雑~に進めるよん。

 以前の記事で少しだけ書いたと思うんだけど、この作品のメインテーマは人間関係だというのが俺なりの解釈。歪な人間関係によって形成される性格。性格が周囲の人間関係に影響を与えて~相互干渉。そうやって性格も関係もぐちゃぐちゃになったキャラクターが主人公含め何人もいるのがこの作品。そして、主人公含む各キャラクターが持つ社会不適合要素を回収していく。

 

 こう書いてみると「拗れたキャラ多いだけでいつもの美少女アニメじゃね?」って思うだろうけど、本作品のすごいところはその解像度だ。

 誰でも自分の内面があって人間関係があって、相手の内面も色眼鏡を通してみている。しかし、それを高解像度で把握して事細かに言語化できる人間なんてそうそういないと俺は思う。そういう意味合いで、この作品の価値は高いと俺は思う。俺も色々考えて自分の内面や人間を見てる自信はあるけど、未だ意識してなかった視野を意識させられたし、ストーリーという形で漠然としたテーマに結論付ける力にも惹かれた。

 

 作品紹介の最後に広告しておくか。人間関係や自分の内面でウジウジ悩む類の人間に対してこの作品は進められるだろう。鑑になるかっていったらそうではないんだけど、どこかしらのモヤモヤが形を持つぐらいの効果は期待できる。条件には該当するけれど、たかがギャルゲ作品に自己内面を変えられたくない、そんな高いプライド持ってる人もいそうだ。まあ、ふんぞり返ってプレイしてみればいいんじゃね? 他人事として見ても、よっぽど内面・関係の思案を極めた人間じゃないなら、それなりのインプットにはなると思うよ。 もちろん、エッチなシーンやギャグシーンは飛ばして可! 栄養豊富なボキャブラリがそこにも眠ってはいるんだけど、退屈しちゃあ意味ないしね。

 

 なんかべた褒めしてるみたいで嫌になってきたな…。俺の中にあるバランサーが「直前に見たものに影響され過ぎって」アラート鳴らしてんよ。悪いな馬鹿なミーハーで。

 

 

 

 次に俺自身の感想を。というかコレが本題の本題なのにい。

 うん、バカな感想だけど、最高に燃えてきたね。形容しがたい内面や関係、その解法をゴリゴリと言語化して整頓してるし、なんなら整理に使用してるボキャも多彩で目移りしてしまう。キャラクターやストーリーの展開に鳥肌が立つのもないワケではないけど、どうしてもアウトプットに悩む者としてはそういう目で見てしまうのよ。内面描写にすぐれた作品を見るたびに、何食って何読んでたらこんな目を持てるんだよって思うね。そして、そんな優れた目に追いつきたいって燃えてくる。

 

 それでも、一度かみ砕いて自分の一部にしてからアウトプットしたいよね。丸のみダメゼッタイ。…にしても悔しいなあ。また影響を受けた作品が増えちゃう。自分の内面は自分の頭で全部創造したい!っていう欲求があるのに、気付いたら色んな人や作品のパッチワークでしかなくなっているのがアイデンティティの喪失感して悔しいよね。一応理屈の上では自己なんて他人によって形成されてるんだから、本来は後者の認識の方が正しいんだけど。それでも自意識が強い人間にとっては「俺の感性は唯一無二のオリジナル!」って言いたくなるよなあ~。 こんなことずっと考えてるけど、多分明後日くらいには平然とした顔でcrosschannelを取り込んでいるんだろうな俺。はいはい俺の負け!たっぷり影響受けましたよっと。

 

 

 以上で感想文は終わり。昔は2000字の読書感想文の宿題にウゲって思ってたけど、今ではスルスル書けるもんだね。興味と合致してるからってのがデカいんだろうけど。

 最後に一応「丸のみしてないからな」アピールをしておくとすると、本作品の中で俺が強く共感した箇所は体感50%。他は「はえ~すっごい」って見方してた。そりゃそうだろ、全部の部分が美味しい食べ物なんて滅多にないよ。

 俺はこうして一つの作品の消化を終えて、アウトプットと修論に勤しむとするぜ。影響受けすぎることに恐れて1年寝かせてた作品のレビューはこれにて終了。