115登山置いてき事件

 本日2つ目の記事。0時30分に帰宅して「これからゲームはなあ…」って尻すぼみして、もう一個書くことにした。というかネタがあった。

 

 今回はこの間のスペースで話したことなので見る人が見たら重複が多いかも。

 そして、エピソードトークがメインなので文量少な目。

 

 

 時は11月4日夜。俺のいる寮内でナイトハイクをしようということになった。ナイトハイクとは夜に登山すること。聞こえは明らかに危険なのだが、俺達が登る山は標高300メートルにも満たない観光山。高尾山をイメージしてもらうとありがたい。まあ、そんな山は夜だろうと未経験者だろうと登れる。登山ではなくピクニックだ。

 

 実は俺自身この山のナイトハイクは何度もしたことがある。単純に夜景が見たいとかの目的であれば、もう行かなくていい。しかし、俺には参加を希望する理由があった。会話だ。緩く幅の広い登山道を二人横並びで歩きながらおしゃべりをする。それが何よりも楽しかった。あれはテーブルに座って話すのとはまた違った面白さがあり、ぜひともまたやりたいと思って参加した。

 

 その結果、ピクニックの途中で置いて行かれた。4コマ漫画で「転」が抜けたような展開になっていておかしいのだが、現実なので仕方がない。経緯を説明する。

 まず、俺は経験者としてピクニックの手伝いのような立場にいた。初めての人が登れるように道案内や道をライトで照らしたりしていた。最初は周りにも人がいて、おしゃべりのようなコミュニケーションも取れていたのだが、次第に雲行きが怪しくなっていった。

 

 まず、俺は先頭二人のすぐ後ろにいたのだが、その二人が急にペースを上げて後続のメンバーを置いて行った。俺もキツいからペースを落としてくれとは言ったのだが、先頭二人は「RTAやから!」って言って突き抜けて行った。不幸なことに、ヘッドライトを持っている数少ない人間が彼らだった。

 

 んで、後続の先頭になった俺だが、生憎スマホのライトしか持ち合わせていない(そもそもこのイベントでちゃんとしたライトを持っている人間はほとんどいなかった)。そのため、自分の歩く道の認識すらあいまいだった。スマホから出るぼやけた光で先頭二人の歩んだ奇跡を照らす。自分が進むためでもあるが後続の道しるべでもある。

 この状態がどう推移するだろうか。どんどん離れていく先頭を目で追いかけながら後続への道を照らす。そう、俺のペースも引き上げられる上に孤立するのだ。おまけに前と後ろを意識して仕事をするため体力も消耗する。

 

 気苦労を重ねて体力が尽きようとしていた俺は、登山道内の分岐点で後続メンバーが軽く集合したときに立ち位置を後ろ側にずらそうとした。その試みをしようとしてすぐに集団は歩みを再開した。周りのスピードに合わせて登れればまた楽しいピクニックに戻ることができる。そう思っていたが、体力がキツイ。飯を食ってないから?睡眠不足?年齢?さっきの消耗?最後の理由が一番デカそうだが、とりあえず俺は後続集団のペースについて行くことができなかった。挙句の果てに殿二人(運営側が参加者をこぼさないように配置している役職)にまで置いて行かれた。おい、何のための殿なんだよ。

 

 こうして、情けなく置いて行かれた俺のできあがり。ついに殿から150メートル程置いて行かれた時に自分のペースで登ることに決めた。これが事件の顛末。あ、一応頂上まで登れはしましたよ。ただのピクニック山なんで。

 

 

 この事件は俺の体力管理という責任もあるが、周りにも原因があると言いたい。

 第一、なんだよ。殿が置いて行くって。ちゃんと殿してくれよ。

 次に、なんで俺のペースに誰も合わせてくれなかったのか。1人で頑張っているのは目に見えて明らかだったはずなのに、「アイツに合わせにいくのは面倒くさい」という感情の方が強かったんだろうな。

 俺が後続集団内でペース遅れをした際も誰も拾ってくれなかった。なんというかもう俺悲しいよ。こんなの誰も俺に対してわずかなリソースすら払ってくれないようなもんじゃん。歩くペースすら合わせてくれない。1人で孤立していると知っていながら。

 

 

 いつも俺は人と関わるときに能動的にかかわっているのだが、いざ受動的になってみるとこうだ。要は、今いる寮の身内は誰も俺に対して何のリソースも割きたくない。食事で言えば「調理されて目の前に置いてあって片付けもしなくていい」という状態のみ食べてもらえる食材のようだ。

 誰からも話したいと思われなかった人間。クソクソクソ。こういうときに「アプローチが足りない」と言う人がいるが、「アプローチをし続けない限り相手にされない」時点でもう詰みなのではないだろうか。泣きたいね。

 

 自分がどこで何を間違えてこういう境遇に置かれているのか。どんな人間に嫌われているのか。なぜ合わないのか。全部自分の性格と所作がみんなを嫌にさせているというのであれば、もっと善人を振る舞わなければならない。俺は一体いつまでどこまで善人をすればいいのだろうか。社会適合道は険しい。あの日の登山道のごとく。

 

 

 

 

ここから雑。

 マジでなんなん。現状を説明するのに事足りるであろう事実を一つ。実は今の寮にいる人間(入寮以前に親交があった人は除く)で俺のツイッターをフォローしている人間はだれ一人いない。これは全員がSNSしない主義なのではない。みんなガッツリtwitterをしているのだ。そして周りはみんな相互フォロー関係。もう何が言いたいかわかるね。そう、みんな俺を「監視」だけしてフォローしないの。それはなんでかって言うと一つは俺にアカウントを見られたくないから。そしてもう一つは己が俺のアカウントをフォローしていると他人に思われたくないから。フォローせずに監視ばかりしている者の心理だ。ある日知り合いのスマホ画面が視界に入った時に俺のプロフィール画面が出てた時に事実確認した。

 いや、見てるのは別にいいのよ。アカウントに鍵つけててくれてもいいのよ。なぜフォローしない? ホントに俺と関わりたくなくて外から見ていたいだけなんだろうな。

 

 まあ、心当たりはある。例えば俺が山に置いて行かれたときもその件を面白おかしくツイートした。「置いて行かれた」と言ったことで俺は被害者を演じた(まあ実際に加害被害で考えたら悪いのは置いて行った人達なんだが)。こういう見えない悪意を俺に拾われるのが嫌だというのはあるんだろうな。誰だって自分の悪口は言われたくない。いつだって正しい側にいたい。そのためには自分のしたことが悪だとみなされる場所にいてはならない。正義か悪かは自分で決められるし、他人からも好きに決められることだから仕方ない。まあ、俺の方に分があると思うけどねってのは流石に傲慢か。

 

 イジメをしている側の人間がイジメられている側の人間の言葉を聞きたいだろうか。いや、鳴き声しか聞きたくない。俺の場合もそうなんだろう。立場が違うから嫌いだし関わってもらえない。今回の件で特に強く思った。挨拶をしたら返してくれたり、雑談を振って相手してもらったり、会話を面白くして盛り上げていたのも結局は仕方なく甘んじて受け入れていただけだった。それだけ。

 

 

 あと半年もせずに俺はこの寮を出る。その時に関係を続ける人間は、向こうから関わろうとしてきた人に限定しようと思う。なんというか、俺の方から「これからも仲良くしましょう」なんてお世辞吐いてペコペコすんのもいい加減馬鹿らしいし。あとフォローしてくれた人も関わりたいです。フォローボタンをポチリと押すだけだけど、能動的な関係を持とうとしているので。てかこれもうかなりプリミティブな承認欲求だな笑。

 

 

P.S.このブログは見られていないことを願う。見ていて今のありさまならもうアイデンティティ否定なので。