面白師アスペが社会で生存する方法

 過去の記事で書いているのだが、俺はどうやら診断済みのアスペらしい。診断が2~3歳で2000年頃なので、正直正しい診断なのかどうかが危ういが。まあ、名前を付けられた特性を持つ程度には社会に溶け込めていない。クラスに1人いた「変わった子」である。 就活ではチェックシートで弾かれるし、演技を意識せずに過ごせばコミュニティで浮いてしまう。レベルにもよるが俺は、俺達アスペはそういう人間だ。

 

 本来なら、こんな特性を持つのであれば職人にでもなるしかないのだろう。適職診断でも芸術家をお勧めされるという皮肉を食らっている。それでも俺は、やっぱり社会の一員になりたいと思っている。多分本能。社会性に背く遺伝子バグと、社会性動物の根幹が対立していてクソだ。クソだけど、どこかしらのコミュニティに所属して何かしらの役割を担いたい。

「じゃあ職場でいいんじゃない?人いるし」

 心無い人ならこんなことを言いそうだ。お前はパン工場でバイトをしたことがあるか? 奴隷同士に絆はない。存在するのは無機質な関係だけだ。もっと「好きかどうか」に重きを置かれる関係を欲しているのだが、使えるか使えないかが判断基準の仕事ではやはり難しいだろう。

 

 ここで、俺が満足するために必要な条件をまとめると「コミュニティに入る」と「人間に好かれる」が挙げられる。コミュニティは別に2人でもいいから、究極的には後者だけでいいが。コミュニティに入ること自体はそんなに難しいことでもないので、今回は「人に好かれる」について話す。

 

 正直、アスペが自然体で人から好かれることは難しい。それはもう社会性がないのだから。そもそも人に好かれるような性格にできていないのだ。他人と協力する無意識がプログラムされていない。そう、自然体ではダメなのだ。

 なんかこんなこと言うと「自意識過剰乙」とか「お前の性格が終わってるだけ」とかいわれそうだが、実際そうなのだ。よっぽど善になるようプログラムされたアスペでない限り、無意識的な自己中心的態度が他人と相反するからダメなんだよ。社会不適合者を舐めないでほしい。

 とまあ、親の前でピエロを演じる子供の心理みたいなことを言ってしまったが、これが実態だ。ありのままでいていいと言うような人間ほどありのままで対応していると離れていく。きっと善良で社会性のある人達としか関わってこなかった幸せなひとなのだろう。

 

 じゃあ、どうやって好かれるか。ここで俺は「面白師」になろうと思った。面白師とは俺が作った用語で、面白さのために何でもする人という意味だ。悪く言えばピエロ。ただ、俺は「自分から見た面白さ」を優先しようと思っている。自己犠牲で他人を笑わせるのも疲れる、かといって自己中心で自分以外誰も笑っていないのも困る。だから、「なるべく多くの人と自分が」面白いと思えるようなことをしている。結局自分ひとりの頭で「こうすれば面白くなるだろうな」って考えている独りよがりだが、これが俺の現状での解だ。

 

 面白ければ好かれる、これを地で行ってきてもう数年経つが、実際は。。。まちまちだ。正直、社会性のある善人の演技をした方がよっぽど人から好かれる。だって結局アスペ以外の人間が求めているのは社会性だから。面白さは二の次でありし好品なのだ。社会性はもはや飲み水と同じなのだ。そして、高度な社会性が求められるようになった現代では泥を濾して得た泥水のような低級な社会性では認められない。

 

 要は、好かれるためには社会性が必要であり、社会性のある善人の演技をすることがアスペが社会で生き残る最短ルートなのである。無論、アスペの誰しもがそれをできるわけがない。自分を偽って演技し続けるにはコストが高くつくし、何より「本当の自分」がいつになっても好かれないのだ。仮面を好きになってもらっても…と言いたい。

 俺も実際、誰に合うにしても最初はそれなりの仮面を用意するのだが、いつも外すタイミングを図り損ねている。まあ、いつも仮面取ったとたんに距離をガッツリ取られるから、関係を続けるためには着けっぱなしが正解なんだろうな。クソがよ。

 

 ピエロか嘘の聖人か、二択挙げてみた。面白師はそれなりに本音で生きられるが、金の卵を産む鶏のごとく、究極的に好かれないというのが問題。聖人は好かれるものの、ずっと嘘をつかなければならないし、好かれるのは偽りの自分である。アスペがコミュニティで生きていく方法は、俺から見たらこんなもんだ。

 俺の場合はこの両方をやっている。善人ピエロといったところか。たまに本音を出すとやっぱり距離を置かれる。どれだけうまくやったとしてもアイデンティティは社会から否定されっぱなしなのだから、こんな病気を作った神様はクソだ。

 

 

 なんというか、もっとみんな本音で何でも話すようになれば、アスペも健常者もお互いに気を遣わずに仲良くなれるのになって思う。健常者は健常者でアスペが迷惑だったら「迷惑だろうが」って社会棒でぶん殴ればいい。アスペは健常者達の気の遣い合いに対して「明文化しろボケ」ってアスペ棒で殴ればいい。アスペを皆殺しにして高い社会性を持つ者だけで気の遣い合い王国を作るより、傷つけあってでもみんなが仲良くできる社会になった方がいいと俺は思う。多分同じことを以前の記事でも書いた気がする。

 

 ただ、健常者達は社会性王国という自分たちの気持ち良い環境から当分は抜け出せずにいるだろう。やっぱりアスペが現代社会で生きるためには演じ続けるしかない。自分を殺すか、排斥されて殺されるかの二つに一つだ。