精神的に田舎な生活

久しぶり。内定が出て遊んでたり研究を進めていたりして書くことがなかった。まあ、幸せだったというわけだ。そして、俺が今日筆を進めているということは不幸があったということだ。幸せなんてわざわざ書き出して考えて疑う必要はない。ただ脳汁を出していればいいだけだ。逆に不幸はこうして書き溜めて考えておかなければ苦しいし耐性ができない。だから今日もこうして不幸と感じたことを整理するのだ。

 

今回は人間関係で見つけた不幸というか不幸を感じさせるシステムについて書く。まずは導入から。

 

俺は今、数十人程度で交流が盛んなコミュニティで共同生活をしている。そこでは約30人程度の特に密な人間関係が形成されている。関係性の最低ラインが「友達」であるような、かなり濃い関係だろう。コミュニティの性質上、特別な貧乏人も悪い関係を持つ者もいない。善人の王国かのような門構えだ。しかし、精神的に田舎だった。

 

どこが田舎なのか。話の内容がコミュニティの人間で完結していること。要はベクトルが内向きなのだ。なんというか、話す内容に事欠いてコミュ内の誰かの悪口がしばしば話される。悪口で失敗して、八方美人を心掛けている俺からすれば不快だ。それでいて、本人の姿が遠くにチラリとでも見えた時はみんな口をつぐむ。俺が社会不適合者のアスペだからかしらないが、そのような光景は胸が痛む。「ああ、俺がいないところでメタクソに悪口言われてんだな」って思うから。

 

ただ、これは仕方のないことなのかもしれない。なぜかというと、一緒にいる時間が長いことでお互いに不満がたまる。そして、相手にたまった不満を他の誰かと共有して発散したいのだ。他の誰かも同様の不満がたまっていたら猶更だ。人間が心地よく共同生活するために敵を用意して、一緒に叩く。社会生活と居心地の良さという両天秤を取る方法がそれなのだ。仕方ないのだ。俺達がマンモスを狩る以外の生き方を知らないうちはこのままである。

 

俺達は田舎に住んでいても都会に住んでいても、本質的には田舎を抜け出せないのかもしれない。それは、コミュニティにいるから。広いコミュニティであろうと次第にごくわずかな人間で構成された輪ができて、それ以外を敵とみなす。この世界が全部田舎だったころから変わらない簡単な指向性が今日も同族を敵とみなす。