相槌マンとあっ察しマンしかないじゃん

 最近、後輩と出かける機会があったのだがそこで言われた一言がデカかった。

「自分のこともっと言わないと、貴方の良さ伝わりませんよ」

 二人称とかは違うけど、こんなニュアンスであることに違いはない。

 この言葉を言われて、確かに最近自分のことを何も言ってなかったことを自覚した。

 後輩達の会話に合わせて一般論でボケたり突っ込んだり、共感したり相槌うったりと、ゲームをするがごとき対応をしていた。俺にとっては仲良くなるための戦略であったが、どうやらこの方法は減点こそされないものの加点もされないってことらしい。

 でもさ、自分のことを言うのって難しくね?言いたい星人になったら相手が気持ちよく喋れなくて、「次も話したい」なんて思われないはず。これは塩梅の話。それは分かってる。じゃあ五分五分で話せば?

 それができねえ訳があるから困るんだろうが。正直俺は他人と半々で話していくとボロが出るタイプの人間だ。つまり、異常者。社会不適合者。そして嫌われ者。そういう内面とステータスを持っているのが俺だ。まあ、オープンに話していけば適合率5%もあればいい方だろう。口を閉ざしている俺は、浅く広く付き合ってるとも言えるのだ。ただ、こういう人付き合いをしていると、結局誰とも仲良くなれない。少なくとも俺が求めている「何でも言い合える」仲の良さとは異なる。…じゃあどうすればいいんだ。

 

「もっと自分に自信持った方がいいよ、みんながお前のこと好きになるくらいのポテンシャルはあるよ」

 少し前に別れた友達からの一言を思い出す。自我を出す勇気を持てってことか。人の話聞かな過ぎて自分の話しすぎて嫌われた過去を持つ俺にはキツイって。自分の弱さをさらすことで信頼されるようになるのか? 昨年はそういうことをして「この人は本当に悲しい人なんだな…」と変な目で見られるようになった。どうすりゃいいんだ。

 

 雨にも負けずのごとく、ただ穏やかに笑っているだけでは親友などできるはずもない。それは分かっている。でも、精神異常者が腹を割って話してどうなるんだ? 色眼鏡で見られて終わりだろ。 こういう不条理があってどうしようもねえジレンマを押し付けられるから、外れ者は救われないんだよね。社会の内側にいる人間は外れ者だとわかるや否やあっ察し…って態度を見せる。もっと互いに受け入れられたらいいのにね。

 

 まあ、何にしろ、これからは勇気を出してもう少し自分の話をするようにする。そして、寂しい思いをしている外れ者を減らすためにも、もっと俺はあっ察しをしないように受け入れ範囲拡張せねばな。今のところそんなヤバモンはいないが。