余命1年と数か月

 寝れない。よく不安で寝れないことがある。最近のテーマは就活。そりゃ周りがもう内定ぽこぽこ出してるのにも関わらすこちとら1次面接止まりだから。相対化しなくても絶対的にやばいだろ。学会発表もあって就活に集中できないという言い訳はあるけれど、原因はやはり要領不足含めた自分の能力不足。弾を作る時間も足りないし能力が低いから消費も激しい。全部二次いけないんだもん。

 

 今んとこ面接で共通事項が「予想していた質問以外の質問で止まる」だ。初めての時言われたっけ。「その場で考えてる気がする」って。

 もっと一社一社自分の書いたESみてQA作らないと。将棋みたいに相手の手を読まないと読まないと読まないと読まないと。みんなそれぐらい頑張って通過して本番でもツラツラとセリフ吐けてるんだから頑張らないと。

 

 他の人がどれくらい頑張ってるか知らないけど、もっと血反吐吐いて頑張ってみる。でも、来年の7月まで出なかったら終わりだからね。その時に小説でも就活でも評価されていないとなると、もう死ぬだけ。金もなくなってくるし何より理系修士として生きてた意味も、面白さを求めて生きてきた意味も、温かい家庭を持つために生きてきた意味も、すべてかなわずじまいだ。

 

 こんなことを考えずにレールの上を進んでいる人達は幸せである。発達の一つも持たず、人格も頭脳もマトモ、社会に適合した人間はやはり社会から受け入れられる。

 俺みたいな社会不適合者は社会から弾劾される。それだけの構図。就活とか婚活とか会社とか。社会がより高尚になるたびに、そげ落とされる人間は増えていく。親世代では社会から椅子が貰えてた発達も、俺達の世代では立派な障碍者。クラスに1人いる変わった人はこれから普通のサラリーマンになれません。障碍者になります。こんな椅子取りゲームみたいな世界でいいのかよ。そんなのの先に何が残るんだよ。クソが。