信じ方を忘れた

 久しぶりの更新。引きこもり気味になって、感情が湧きたつこと自体少なくなったからか。今日ふと思いついたことを書き記す。

 

 彼女もロクにできたことのない童貞だからだろう、たまに俺は俺を騙そうとする女の脳内シミュレーションをする。その精度が年々上昇していて、終わることをしらない。

 人の心に悪意など殆ど存在せず、ニュートラルまたは善意で悪行が行われていると気が付いたのは大学に入って女に振られてからだ。「あなたのためを思って」とか「言わなかっただけ」とかよく言われる耳障りだけは良いクソみたいな枕詞を一通り経験した後、俺は人を信じないという方法で心の傷付きを防いだ。 その一件を経てからは他人をかなり疑うようになった。

 客観的に見れば打算的な人付き合いのできる大人になったともいえるが、その内面は他人を懐疑的に見て「お前の目的はこうだろ」とか「お前の本音はこうだろ」とか性悪説に従って悪人寄りに仕上げているだけだ。相手の話すことよりも自分で考えた相手の本音に合わせて言動行動をする。書いていて思ったが、昔の自分より成長したつもりが、むしろ他人に深く好かれない人間になっているのではないか。昔の俺は自分に都合のいいことを信じるようなカモで思い出すとイラつくが、今の自分も夢のない人付き合いばかりしていて腹が立つ。

 

 もっと人の善意や愛情を信じられれば幸せになれると思うんだけどなあ

 

 それとも俺は既にある程度他人を信じていて、他人からそう言った思念を向けられていないだけなのか?  もしそうだったら孤独であるし悲しい。俺から仕事や年収といったタグを剥がしてアイデンティティだけになった時、誰からも愛されず必要とされず生きている人間であるということだ。ハムスターから可愛さを抜けばネズミになるように。