飛行機の中での手記

 こないだ飛行機に乗る際、どうせオフラインだからと思ってサークルの会議資料を作ろうと思ってノートパソコンを開いた。フライトの2時間強のうち1時間、俺はキーボードをたたいて資料を作っていた訳だが、寝不足のせいか(午前のフライトと取ると、空港までの道のりが長かったり早めに空港に着く必要があったりするため大抵寝不足になる)負の感情が湧き始め、思考が回り始めた。いわゆる汚くて湿ったことだ。しかし、そんなことにこそ真実を見出せるものだ。俺はこの瞬間に思ったことを忘れないよう、生じた感情、思考をそのまま垂れ流すがごとく会議資料の空白に書き込んだ。1時間にわたる俺の全てをここにコピペする。全く推敲されていないため、読みにくいかもしれないがその時は読み飛ばしてもらっていい。多分前後少々が読めなくても全体の意味は分かるようになっている。 また、多分この文章?を読むことで俺の脳内が整列されたものではなく混沌、雑然としたものであるということが伺えるであろう。もしこの現象に名前があるのなら誰か教えてほしい。

 

↓以下、原文ママ

 

なぜ「つまんない」とだけ言ってる奴が不快なのか

つまんねえって言っていい奴は、面白い奴だけだ。だってつまんないことを指摘すること自体は面白くないから。その後に何か面白いことを言わなければただ文句を言っているだけでしかない。こうすればよくなる⇒喋らないこと

そもそも自分が面白いって思うだけでいいのか?  周りが面白いと思うように振舞うこととどっちが大切なんだ。 どっちか一方に寄ってもダメで、どっちも多少は面白いと思えるような行動言動でないと両者は幸せにならない。 そのつり合いの取りやすい相手かどうかがいわゆる「コイツとは合わない」というものである。意外と容姿だけではわからないかもね。傾向こそあれど、真偽は実物を見るしかない。

つまんない奴も面白い奴も、自分と少しの周りが面白いと思えるようにしようと思うだけで、もっと世界は良くなる

 

喋り方がバカっぽい。それを越えて障碍者っぽく聞こえてるのかもしれない。母親にも声が高いと言われた。声が高いことはそれだけで人に舐められるよね。就活でも不利になるし。チョークでも飲もうかな。いやさ、一長一短だとはおもうんだけど。それとも喋り方の問題か? わざと他人に舐められるように生きている気がする。喋り方をもっと標準語に戻していくか。いい加減社会人になるんだから矯正しないと。長丁場の面接でも絶対にボロが出る。文章を考えてから口に出すようにしよう。小説のためにもなる。

 

俺もさ、そういう時期があったから言いにくいんだけど、やっぱり他人を見下した態度って伝わるものなんだよね。そもそも見下されないようにするのも大切なんだけどそれは別問題。見下した方が相手の影響を受けにくいっていうメリットもあるんだけど、人間関係上明らかなデメリットの方が大きい。

社会人になって組織の下部にいることになるのだから、へりくだることを覚えた方が良いのかもしれないけれど、やはり対等に見れる方が人間関係をはぐくむうえで、自己のメンタルを維持する上で、大切だ。

 じゃあ対等に見るってのは何かって話になるんだけど、多分相手と自分の両方に勝てない箇所があると認識することだ。レーダーチャートで何かしら尖り方が違うっていうイメージ。現実的には表面的なステータスなら何一つ勝てないって場合もあるんだろうけれど。でも大切なのはやはり内面だ。何かしら互いに己よりいい内面的特徴がある。そう思うことで舐めた態度にストッパーをかける。これが俗に言う尊敬なのだろうけれど、俺は尊敬という言葉が好きじゃない。特に尊。大切に扱うという敬は共感するが、尊という文字には「かなわないと思う、自分とは別の物だと思う」といったニュアンスがあると俺は思っている。反骨心の塊だからか、そうやってまるっきり信じ込むというものが好きではないのだろう。「すごいから真似したい、すごいけど駄目なところもある」といった、評価という方法の方が好きだ。その方が対等に居られる気がする。多分これは俺の自己評価が低いことから始まってる。「俺は雑魚⇒相手すごい(ここで終わるとヘリくだりになる)⇒でも俺の方がすごいところもあるよね」って感じ。自己評価高い人間はこの逆になるのかな? まあいいか。 俺は相手とまるで戦うかのような見方をしてしまう質みたい。臨戦態勢の奴と仲よくしたいかってなると、本末転倒か。