年齢と親友の話

 まず、この段落では近況報告から。小説に着手してきたが、書き始めだからかまだ軌道に乗り切っていない。多分この趣味は一生芽が出ないけれど、自分の感性を閉じ込めて”社会人”という社会のCPUとして生きる覚悟もできていない。社会と相いれない独りよがりな自分の思想を押し通して生きたいという願望は一丁前にあるから、辛うじて小説なんてものを書いて正当化しているのだ。独創性を活かした芸術家だからまだ、ビジネス本に書かれた社会受けする人格を持とうとはしていない。半端に小説を書いているから就活も中途半端。ITオシャレコンサル企業の説明会を受けて虚業への拒絶反応が出て今週は終わり。っていうかアレもう仕事増えた営業じゃん。虚業で稼ぐには己の口八丁手八丁を磨くしかないから苦手だ。俺は自分の持つ技術で金を稼げるようになりたいと思っているから、多分機械メーカーに就職する。工学部じゃないから受かるかどうかわかんねえけど。一生を捧げるつもりで会社選びをしろなんて言われるが、終身雇用もないこの世の中だからね。だから小説家でも収入を得て安心したいって思ってる。

 

 はい、本題入ります。今俺は交流のそこそこ盛んな寮で上位30%の年長者という立場である。そんな俺の最近の悩みは親友の少なさ。正確には今年度いっぱいで親友の殆どが他所に行ってしまい、来年度は俺と他後輩たくさんと言った構図ができあがる問題。案の定後輩とは仲良くなれていない、というか先輩後輩の一線を越えられない状態だ。一緒にイベントや会話をするときは誘える(誘われはしないけど)という具体例を挙げておけばそ程度が分かりやすいか。まあ、こんな状態だから当然親友とは呼べない。寮生活が長かったせいか、「友達とはいえるけど親友とは絶対呼べない」という関係性だと寂しい気がしてならない。今からこの問題について2つ考える。

 

①そもそも親友があらゆる環境で必要なのか

 俺は本音を話しあえる人間というのは必要だと思っていた。だってそれ以外の人間なんていてもいなくても孤独であるのと変わらないと思っているから。遊ぶこと位はできても心根を言えずにテキトーな話に相槌を打つだけなのは正直1人でいるのとかわらない気がする。そもそも人間関係なんてものは一緒に遊ぶくらいで精いっぱいで、自分の深くにある思想なんてずっと自分の中にしまっておくくらいで丁度いいのか。つまり、この感性がかなり贅沢なのかもということ。あるいはおれの本音というものが一般的な友達では到底たどり着けない深層なのかもしれない。

 

②上下関係がなくならないと親友にはなれないのか

 年上だからへりくだったり年下だから奢ったりする性質ってなくならないんですかね。俺はできるだけ対等になろうと努力しているけど無理なら仕方ない。コミュニティに同じタイミングで入った人間としか真に仲良くなれないというのなら悲しすぎる。上下関係って本当に人を飼いならすための道具じゃんこれじゃ。

 

 俺はどこかでやり方を間違えて親友に恵まれない境遇に陥ったのか、それとも親友なんてそもそもの話高望みなのか、わからない。ただ、これからも親友になれるのではないかという希望を持ちながら俺は年齢差のある人々と軽い交流を続ける。ああ、もっとみんな心を開いてくれれば楽なんだけど。