鏡見たくね~

 一昨日に引き継いで記事を書いちゃう。理由は、論文書くことからの逃避。とりあえずここで筆を進めてウォーミングアップという言い訳をしている。まあ、そんなことだから今日も書く。そんなに溜まってる訳じゃないから短め。

 

 

 昨日はテレビが忙しい一日だった。M1とw杯の決勝が同日にあるなんてね。おかげで今日は寝不足。はい、今日はM1をみんなで見ていて思ったことを書く。

 

 

 身内で集まってM1を居間で見てた。ワイワイ騒いだり、お笑いマニアが語りながら見たりって感じ。毎年恒例なんだが楽しい雰囲気だ。だが今年は少し違った。

 

 今年勢いがあったのは悪口愚痴文句なんでもありのコンビ。ラッシュトークでテンポよくぶった斬っていく。前々回大会に出ていて俺は好きだったコンビだったんだけど、果たして名誉ある大会で賞が取れるスタイルなのか?と半疑問のまま視聴。やっぱりすごい勢いで滅茶苦茶になじっていく。それを見て俺はついつい周りを顧みずに笑ってしまった。そう、顧みる必要がその時にはあった。

 

 周りが誰も笑っていなかったのだ。あまり笑っていない+「こんなディスり芸って良くないんじゃない」という会話が聞こえてくる。そんな雰囲気の中で俺だけ笑っていたら、俺はまるで悪口大好きのとんでもなく性格が悪い奴だ。まあ、事実だから否定しようがないんだけど。

 この雰囲気が続いたまま、件のペアはなんと優勝した。傷つけまくりの汚れ芸がテレビの向こう側では席巻していたが、見ているこちらはもうお通夜。そんな雰囲気じゃ盛り上がれねえじゃん! 俺は汚れ芸が王者になったことに一抹の不安を抱えながらも、汚れ芸自体はかなり好きだったから内心喜んでいた。

 

 いやいやいや、俺の感想についてはどうでもいい。周りの雰囲気についてだ。

 端的に俺が思ったことを言おう。悪口ボロクソに言ってるお前らが言えたことか!?これに尽きる。よっぽど育ちが良くて幸せな生活を送っていて世界平和を望んでいるような人間が、汚れ芸を醜く思うならまだわかる。でも、今テレビに向かってブツクサ言っている人達はみんな悪口大好きマンじゃないか(前回の記事参照)。本当は悪口が大好きなはずなのにどうした? 鏡見てからもっかいコント見てみろ、おもしれえぞ。

 

 とまあ、こんなことがあったってわけ。これだけだと俺が一方的に汚れ芸嫌い民をディスってるだけなので、一応視野を切り替えた話もしよう。悪口が大好きだけど汚れ芸は嫌いというのはおそらく演劇として見た時の客観的な出来の話だろう。汚いものは汚い。泥まみれの姿でも泥にまみれたおにぎりを食べたくはないように、汚いものに対する嫌悪感はあるだろう。

 もう一つ考えられることとして、自分との関連度だ。テレビに映っていた汚れ芸はテレビ用なだけあって対象はアイドルや芸能人。みんなに広く薄く共有できるが、仲間内での共有や芸に対する深い共感は得られない。もっと言うと、しょせん画面の向こう側にいる不特定第三者に対して不快のカウンターはたまりにくい。だから、みんなで見ていても身内の悪口と同じように「でしょ~?」「ほんとそれ!」となりにくいのかも。悪口って不快のカウンターを燃やすことだからね。何人かで集まって一緒に燃やした方がもっと暖かくて心地の良い焚火になるってワケ。あくまでこれは純粋な悪口の楽しみ方であり、「いかに個々人が思っていることを面白おかしく言語化するか」という汚れ芸特有の要素は省いた時のはなしだけど。

 最後の要素に、「悪口芸を見て笑っている自分」を共有したくないという心情だ。リンチを見て笑っている人間は怖いし、汚れ芸を見て笑っている人間は低俗だと思われる。少しでも自分を良く見せようとしている間柄なら、げらげらとは笑えない。もしこの理由でみんなが笑えなかったのだとしたら、カッコつけの壁が残っている身内の環境を少し悲しく思う。

 

 

 

 はいはい、悪口悪口ってうんざりの人もいるかもしれないが、実は今日は別の話題もある。

 これはM1放送の少し後の話。居間のゲームスペース(ゲーマーの方々のゲームやモニタが長机上に鎮座しているエリアで、共有スペース扱い)で起きたこと。このエリアでは俺含むゲーマーの私物が並んでいることもあり、半分個人の縄張りみたいになっている。しかし、居間という共有部に含まれているため共有スペース、つまりだれでもゲームを触っていいし席にも座っていいという扱いだ。ゲーマーの方々もそれを了承している。しかし、了承できないこともある。

 

 ゲームのコントローラーとコネクタが元の位置に戻されていなかった。多分遊びに来たお客さんがテキトーな戻し方をして帰ったのだろう。それを見て持ち主はブチ切れ。育ちが悪すぎると言っていた。俺もそう思う。借りたものを元の位置に戻さないのはよくないことだ。俺は彼のことを本当にかわいそうだと思ったし、借りた人はもっとちゃんと感謝して片付けろよとも思った。

 だが、俺がいただけなかったのは周りの反応だ。他の居間の人達も共感して「ほんとにここに来る奴民度悪いな~(この場にいる俺たち以外)」なんて言っていたが、実のところその場にいた半分以上の人間は今回の犯人と多かれ少なかれあまり変わらない民度だ。普段のお前の行い見てみろ~と内心思っていた。

 

 そもそも、この居間に来る人間もそうでない人間も金持ち貧乏でも民度が低い割合が高い。居間にはたくさんのゴミが放置されているし食器も放置されている。俺が買った全自動麻雀卓の周りにもペットボトルのゴミ等が散乱している。俺のゲームモニタの前にゴミが置かれていることもあった。そして、そういう行いをしている人達をたくさん見てきた。活動的な人も優しい系の人も、意外と民度が低い。ゴミ放置食器放置等をしない、高民度だと言えるのは居間に来る人の半数程度だ。だから、今回の事件に対して怒っている人達の半分くらいに対して俺は疑問符を抱いた。

 

 

 

 前半の汚れ芸のこと、後半の民度のこと、どちらにも共通して言えることとして意外とみんな自分を客観的に見えていないということだ。社会適合者というと、いかにも自分の行い顧みるマスターな気がするが、実のところそんなことないのかもしれない。社会適合者にあって社会不適合者にないのは空気語ぐらいで、社会適合者でも普通にカスだったりはする。そう思うと「周りはみんなすごいのにどうして俺は…」とふさぎ込むようなことは減るだろう。

 一応「人の振り見て我が振り直せ」というエッセンスもあるが、こんなのは正直実践不可能だから無視。「みんなかなり強気だけどブーメランガン刺さりしてるから、良い人になりたいんだったら意識した方がいいよ」ってぐらいマイルドに受け止めた方が俺にとってもみんなにとってもやりやすいと思う。上記の超強気諺を言えるのは多分、自信がカンストしてて自分が手本だと思ってるような傲慢マンなので、マジで意識しなくていい。

 

 今日はこんなところかな。気付いたら結構長くなってた。それにしてもみんな善人と悪人のダブルスタンダードが得意だなって。