不器用な奴は何をしてもダメ

 久しぶり。今はGW真っ最中。GWが与えられる仕事でよかった。

 落ち着いてきたので、近況を書こうと思う。

 

 

 入社。2週間の研修でたくさんの同期と話す。だが、デカイ会社だけあって、仕事で関わるであろう人間は少ない。そして、研修は職場とは遠く離れた場所で行われるため、雰囲気はどこか学校のイベントに近い。初対面故の余所余所しい感じ。でもみんな年相応のコミュ力を発揮している。だからか、研修が終わるころには仲の良い男女グループなんてものがいくつかできようとしていた。俺は、研修では誰とも仲良くはならなかった。まあ、必要性をそこまで感じていなかったというのが第一の理由だから、そこまで気にしてはない。 ただ、演じきれなかったというのは気にしている。人と話すときに普通を演じ、時に素を出そうなんて思っていたがその結果、「変な人」って対応。普通とか変とか、定量化できないことを口に出すとゴチャゴチャ言われそうだけど、やっぱりダメ。人の目を気にしすぎるとそれが周りに伝わるし、思ったことを言ったら言ったで空気が凍り付く。両極端の行動しかとれないから上手くいかないんだろうな。少なくとも人間関係は物足りないくらい余所余所しい関係か自分を許容させるような関係しか構築できていない。演技の内容が変わっただけで、本質は何一つ昔から変わんないや。

 

 

 もう一つの悩みはゲーム。対戦ゲームが全く上達しない。人に上達方法を訊いて実践する…その実践がいつまでたってもできていないのだ。楽しそうにゲームをしている上級者中級者の人達がたった少しの意識でできるようになることが、どれだけ意識しても一向にできるようにならない。これも不器用だから。一つのことしか考えられないから、考えることが2つ以上あるとダメ。ロボットの下位互換なんだよね。

 

 

 

 不器用だから、仕事でもゲームでも人間関係でも成長が遅い。遅すぎて間に合わない。ゆくゆくは仕事に能力が付いていけなくなって辞めることになるのかもね。そんなこと考えてたら死にたくなっちゃった。不器用って言うと可能不可能の話に聞こえるけど、実際は「思考に対して脳のリソースが過剰に求められる」性質のこと。考えるのが大変だから考えられることが少なくなる。要は馬鹿ってこと。

 

 不器用な人間は意識すらマトモにできない上にそれを実行するのも困難だ。だから成長が遅くてやってられない。正確には、満足まで成長するまでに一生以上かかる。もっと適切な集中の仕方ができればたくさん成長できるんだろうけど。トレーニングで少しはマシになるのかな。わかんないや。

卒業した

 約1か月ぶりにキーボードを叩いている。知り合いや友達、家族親戚に会いに行ったりしていて時間がなかったというのもあるが、実際は遊び呆けていただけだ。

 んで、1か月も置いて何を書くのか。現状報告(誰得)とこれまでのおさらいだ。…前回もおさらい的なことを書いた気がするが、まあいいだろう。1か月経ってみて心境が変わることもあるからね。

 

 

 現状。春休みの1か月半で俺は家族親戚友達知り合いの多くと会ってきた。というかそれしかしてない。こう言うと友達いっぱい人間みたいだが、本当は「会ってもらった」に近いかもしれない。関係性の濃淡はあれど、とにかく、一通り書いていこう。

 

 家族。親。今あってみればかつて恐怖の対象だった父親も優しそうな母親(会ったことはなかったんだけど)もただの人だ。父親は要領がとても良いが許容量が小さいピーキーなPCのような人間。母親はとても気が利くが、方向性が下手くそだし我の強さと干渉を起こしている。共通しているのは強いエゴを持っていること。立派に勤めて家庭を育てるような人間であればそれくらいの主体性が求められるのだろうか。俺は正直どっちの親についても苦労を強いられただろうが、少なくとも特殊学級に入れられなかった今のルートに満足してる。そして、俺はどちらの血も引いてるなと。人によっては「こんな親から生まれてこんな育ちなんだから、負の連鎖止めた方がいいよ」って言いそうなもんだけど、どうなんだろうな。俺は、まだ自分がそういうことをしていいと思ってはいるんだけど。というか、ダメな理由を探してる間はNOの答えしか出ないでしょ。

 

 地元の友達は…自分の粗削りな時期を知っていて仲良くしてくれるのはありがたい。性格は全然違うのに付き合いがあるのはすごいよね。

 大学の知り合いにもたくさん会ってきた。遊んでくれた人もチョコチョコいて、薄いながらも関係性を広げてたんだなって。どう思われてるかはわからないけど、濃くは関わらない分低摩擦だから問題ないと思ってる。そういう意味合いでは案外俺はそこまでの人見知りや人嫌いではないのではないかと。適度な距離でまた遊んだり飯行ったりしたいな。

 

 そして友達。ここ1年で色々あったが、そんな俺にも少ないけど友達がいたんだなーって。純粋にタイマンで会ってくれる人間が。そういう人は特に大事にしたいなと痛感した。こういう人間がいることで俺も精神的に充実してくるから。

 

 

 

 俺を虐めてた人達とも何度か居合わせた。もう俺も引っ越すわけで、他人になるのだから挨拶でもするのかななんて思っていたが、何も。 まあ、今更フレンドリーに話しかけることもお互いできないか。悪意を向けた人間にどうやってまた向き合えばいいんだってのは俺もよくわかる。俺も昔酷いことをした人に対してはマトモに目も合わせられない。 

 もっとも、イジメるような人達だから、そういう気まずさも感じないように思考回路がチューニングされているのかもしれないが。イジメ自体も自分達の悪意を誤魔化して薄めて、良心の呵責が起きないよう正当化できてるからね。 

 

 

 

 

 まとめる。関係の濃い人や薄い人、仲の良い人と悪い人に会ってきた。やっぱり距離感なんだなって。遊ぶ程度なら色んな人とできるし、楽しかったりする。ただ、気の合う人間も必要だし、現在時点で数人いるのが嬉しいね(相手からどう思われてるかを考えてもキリないので無視)。

 他にわかったこととして、距離をとりまくった方がいい関係というのも存在するということ。合わない人間ってのは実は結構いる。というか大半がそうなのかもしれない。合わない人間と長く付き合っていると次第に摩擦が起きて、最悪イジメに発展するかもしれない(イジメをする大人がいるということも学べた)。合う合わないのセンサーと、距離調節を大事にしていきたい。現状は両極端だから、上手になりたいね。以上。仲良くしてくれた人ありがとね(もし読んでくれてるなら)。

 

 

 

 

 

 

 おまけ。

 なんというか今回の記事って「俺はこの人格で完成だから~」感が強いよね。実際もう性格を変えることなんてできないんだけど、他人にもっと合わせて適合しなきゃではあるんだよなあ。まだ自分が良くできてるとはいいがたいし。

 

 あと、これを書いてる現在の俺はもう社会人なんだけど、これからはそんなに人間関係が育成されないだろうなってのはある。これから濃い関係ができるビジョンが見えないんだよなあ。 まあ、そもそも友人というくくりの関係ってそんなもんなのかもしれないけど。社会人でバリバリ友達作ってるって人はそんなに見ないよね。

 よって、ブログの更新ももっと少なくなるかもね。また何か悩みとかあれば書く!

 

 

 ここで思い出したけど、俺が就活中に社会性が低いことで悩んでたけど、それは内定出て消えた訳じゃないからね。実際、自由応募では全く受からなかったんだし。人に合わせる能力については、俺自身結構まだ悩んでいるさなかだからね。 以上。本格的に働くようになれば、もっとこういう悩みが増幅される気がする。 もしかしたらそういう旨の記事を書くかも。l

 

 

 

 

 

 

 

これからのことを雑に

 久しぶりになるかな。同窓会以来だから約半月かな。あれから俺は何をしてたか。ゲーム。ひたすらに。友達と会ってたりもしたけど、基本的にずっとゲームをしていた。今久しぶりにタイピングをしていて、その遅さにたまげるくらいには。っていうか結局小説も続き書いてないんだよなあ。4月までには短くていいからもう一作書きあげたいな。

 

 さて、ひたすらゲームしていてどうしてブログを書かなくなったかっていうと、純粋に悩みがなくなったから。他者の存在が苦しみを生むのだから、部屋に引きこもって他人を切り離してしまえばストレスフリーになってしまうのだ。俺の筆の原動力はストレスであり、ストレスは人間が生む。人間と関わらなければ必然的にこのブログは止まってしまうのだ。

 逆に、今まで俺は周りと摩擦を起こし続けながら生活していたから人間的に磨かれたんだと思う。ただの冷遇やイジメと捉えればわかりやすく被害者面できて楽だが、実際はそんなことなくて自分の言動行動存在が相手方のストレスを生み、その結果無意識的ないし意識的な相手方の消極的態度や攻撃に繋がっていた部分もある。こういう経験がないと自分を顧みることができなかったから、感謝もしてる。合わない人間と関わることで合う人間のありがたみもわかったしね。

 というか、悔しいけどやっぱり俺って人の好き嫌いが激しいんだなって。一応は「みんな友達」って体で人間関係をはぐくもうとしてたのに、実際は関係性にすごい固執してる。面倒くさい話はしたいし目線の上下は気になるし、求める条件がきついのは自分の狭量さを感じさせるよね。もっとも、相手から選ばれる確率が低い時点で無理ゲーの社不適なんだけど。こうして俺は社適の羽根を体中に貼り付けて求愛ダンスを社会相手に踊ってみたのだが...結果は散々。見抜かれちゃったかな。

 

 …とまあ最近は人間関係ストレスフリーです!って言おうとしてたのに、書いていくうちに滅入ってしまいましたとさ。実際何にも困ってないかって言うとそんなこともなく、誰からも卒業旅行に誘われることもなくて少し寂しい思いをしてる。特に周りの人間から「卒業旅行どこ行く?」って訊かれた時に「帰省だけっす…」って答えると気まずいんだよね。まあ、これは俺のここ数年の人間関係集大成だから仕方がない。

 

 俺の人間関係が凍結されるのもあとひと月。4月からはまた更新されるだろうから、良くも悪くもまた俺は人間のことを考えて悩むと思う。

 

 

 

 

 閑話休題

 自分に良くしてくれる後輩というのが実は今の環境に1人いる。よく彼と喫煙所に行って他愛無い会話をする。話の中には、「最近こんな辛いことがあって~」なんて言いにくいであろう話題もあるから、認められてる感があって少し嬉しい。

 

 しかし、あることに気付いてしまった。笑ってない。俺は目の前の相手と話していて笑っている姿を見たことがない。他の人と彼が話している時には弾ける笑顔を見せたりするものだが。なんだかすごい気を使われている? まあまあ…笑い話をたくさんしている訳じゃないからそんな爆笑に包まれなくても気負う必要ないか。

 だがしかし、もう一つ兆候。話が繰り返されている。俺の記憶では彼の口から同じ話が何度か話されている。もしかしてすごい気を使われて優しい台本を用意してもらってる?

 

 正直、現環境で俺に友好的に接してくれている数少ない人間だから大事にしたいのだが、正直不安にもなる。彼自身の気持ちについてというより、周りの連中に「介護お疲れ~」なんて言われでもしたときの様子が心苦しくて。被介護者となる俺は「ワシのためにすまんねえ~」なんてカバーできないし。

 

 どうか介護になってなければいいけど。

 

 

 

 なんかこの話書いてたら、以前ボイレコで録音した悪口大会のこと思い出してキツくなってきたな。俺の隣の席「介護係」に誰が座るかってのでキャッキャしてたなあ(結局みんなで席外してハブられた)。「自分のいない時ってどんな話されてるんだろ」って思って録ってみたらねえ。本人に言いにくい箇所があれば改善しようとか考えてたけど、実際は適当な悪意しか向けられてないんだなって。 

 唯一の救いは、悪口に積極的に参加してる人間と消極的に参加してる人間の区分ができたことと、流石にその状況で味方をやってくれるような人間がいないという事実を確認できたこと。別に仕方のないこと。味方が数人できるような環境であればこんな大会は開かれないから。ただ、頑張って味方を作ろうと数年間頑張ったのに誰も味方がいなかったという事実は重くのしかかるね。

 

 

 ここ数年の人間関係で分かったこととして、人と仲良くなるのはとても難しく、努力で得られる成果には限りがあるってこと。そして、もし仲の良い人がいれば大事にした方がいいってこと。個々人のアイデンティティを自分で決められないのと同じように、人とのめぐりあわせももしかしたら神様に決められているのかもね。

 

 

 

 

 

 最後に、これからのこのブログの方針について。このブログはtwitterと連携してる。そして、そのアカウントはもう使わないし消すつもりだ。そうなれば、もしかするとこのブログにログインできなくなって更新不可、事実上の閉鎖になるかもね。

 

 仕様の話はそれだけ。続けるかどうかの意思については別問題。これからも思うところがあれば書きたいし、今日の後輩君の件だってtwitterには書き辛いからこういう場に落としたわけで。ただ、仕様上の問題もあるから別のタイトルのブログになりうるってだけ。ブログ運営については以上。

 

 

 twitterについては、正直もう狂人を見下ろす人々とtwitterなくても仲の良い人、むか~しの人間関係の3極化しちゃったからね。というか会社の人にバレたときに過去の言動が芋づる式にバレるから消す。

 

 まあ、とりあえず今は別のアカウントがあるから、見てる人はそっちでフォローしてくれたら嬉しいかも。

 

気おくれで喋れねえ

 雑談。東京に遊びに行った。田舎から東京に出てきて毎回感じるのは人の多さ。まだ駅や道に人が多いのはいいんだけど、お店の中も人がたくさん並んでるのはびっくりした。繁華街だからってのもあるんだろうけど、都心は流石だなと思いつつ生きにくいなとも思った。まあ、そんな心配しなくとも自分は都心に住む予定はしばらくない。ちなみに自分の住むであろう街にも行ってみたけど地元とどっこいどっこいの寂れ度合い。地元と違うのは、繁華街に漂う資本系の空気。なんか金稼ぎをしようっていう気配が強いような気がするのは気のせい? こっちでも面白い個人店が見つかればいいな。

 それと、やっぱり東京は金の匂いがするね。街中を歩く人間が身に着けてるブランド物の衣服や数万はするイヤホン携帯ヘッドホン。みんな一張羅でお越しになっているとはいえ、都会人の資本力が垣間見えたね。多分絶対数が多いことによるバイアスだとは思うんだけど。

 

 

 

 本題。

 昔の友達連中に会ってきた。6年前の人間関係。十数人もいたし上下関係もあったし、仲の良し悪しも勿論ある関係。そんな人達と会って思ったこと。

 みんな、やっぱり確実にすごろくの駒を進めている。無職の人も数人いたけど、そんな彼らも社会経験あっての無職だからかすごく大人びて見えた。本当は目の前の相手に好き嫌いはあるのに等しく楽しく笑って場を回している。マジの大人じゃん。対して自分は回してる風の回せてない状態。楽しく混ざれる時だけそれなりに喋るけど、苦手な相手の前だと目も合わせない。そんなプレーの繰り返し。それも、自分では気づかずに他人から言われて気付く次第。今でも俺は苦手な相手と何も話せないガキのままだということを痛感した。そして、そういう体験が暗い感情を掘り出していく。

 

 

 成長。ここ数年の俺が渇望しているもの。自己内部の精神的な成長。コミュニケーションスキル等に表れるスキルの成長。そして小説や思想といった、自己を分裂させたトロフィー。まだ何もかもが未完成だ。そんな人間がどういう状態かというと、考えが危うくて誰にも共有できなければ上手に生きることもできない。外から見てみればただドングリを拾って一人で生きてるだけ。他人と対等に関われずに一生を終えるのが怖いから、成長を望むし焦っている。 それにしては挑戦が少ないような気もするけど。

 

 

 んで、実際成長してるの? してない。さっきも書いたけど、結局俺は自分が楽しいと思えるようなプレーしかしてない。じゃあどんな会話が苦手なの?

 

 自分が迷惑をかけた相手が苦手。今回の集まりでも数人いた。自分が当時の価値観で一方的に迷惑をかけた相手。その手の人とは誰と会っても社交辞令程度の会話しかできない。加害者と被害者の構図。だけども俺が持っているのは対等に話す能力だけ。どうやっても加害者が被害者にできるのは謝罪だけだろ、としか思えないがもし自分が逆の立場なら対等な会話を望む気がする。6年前の被害者側の感情も多少は予測できているのに、自分の中でずっと気おくれしている様子を自覚して、かなりいらだった。もっと迷惑をかけた相手は多いのに意識する相手を絞り込んでるし、自分が下にいるべきなの「自分が上がる」形で対等に戻ろうとしてる。「ごめんね!今までのことは忘れて!」って相手に要求する図々しいやり方しかしてない自分が嫌だけど、他のやり直し方を知らなくてダンマリ。後学のために考えててみるか。

 

 

 多分、自分が悪いということを、認めたくないんだろうな。ずっと謝り続けて生きたくないってプライドの高さ。俺も物乞いの如くへりくだるこへの抵抗が小さくなれば、もう少しはやり直せるだろうに。ごめんなさいがスンナリといい加減言えるようになりたい。

 

 あるいは、自分が悪だと割り切った上で開き直るか。これについては、世界の悪を許せないと始まらない気がする。実のところ、暴力、イジメ、嘘、そういったことをしている(らしい)人間に対して心を開けていない。自分が攻撃を受けている側なら尚更だ。謝られたら大分やりやすくなるけど、それでも印象を払拭するのは難しいと思う。

 イメージはそう簡単に変わらない。それを自分にも適応して、「もうやり直せないだろうな」って諦めてる節はあるよね。綺麗な自分しか見せたくないっていうプライドの高さと相まって詰みが発生。

 

 まとめると、他人に良く思われたいっていう欲求と下ないし悪の状態になりたくないというプライドが人間関係を邪魔している。そもそも一回やらかしたらもう人間関係なんて終わりだろ!っていうのが社会通念なら、別にいいんだけど。

 

 

 

 

 

 

おまけ

 もし俺がうしろめたさを持たれることがあれば「気にしなくていい」って言ってみる。まあ、俺は基本的に悪で加害者だからそんなポジションに着くことはないんだけど。

 印象を変えられるかどうかってのも、また試されてるよね。人間が変われるって期待したいからには、自分の持つ印象を変えられなきゃな

 

先輩適性

 雑談。以前話したように、wiiuを購入してずっとゲーム「空の探検隊」をしている。独り言を喋りながらやることを正当化するためにyoutubeで配信なんてしちゃったり。伝手も特にないから誰かが見に来ることなんてないんだけど、ジョークを水で薄めたような話を続けるだけでもなんだか充実感が得られているのは事実だ。というより孤独を胡麻化すことができているのか。孤独とか他者から向けられる嫌悪感とかと長く対面してると精神が参ってしまうので、ごまかしごまかしやっていくしかない。逃げてるみたいでちょっと悔しいけど。

 

 ちなみに、最近は対戦ゲームのコミュニティに入ってボイチャつないで一緒にゲームなんてしてる。ここで話される内容もなんてことなくて、コミュニティの雰囲気は高校時代の部活のようなもの。競技という共通目標がなければ後はもう他愛ない会話だけで、心の出番なんて全くない。それでも自分の孤独が多少は癒されてる様子から、もっと現実でも演技を徹底すれば良かったのかななんて思えてしまう。それを内心分かった上で本音を話せる関係っていうロマンを追ってたあたり、結局俺は理想主義だったんだなって。 

 

 もうひとつ。介護士が消えた。このブログに書いてあるようなことを話せる相手が目の前からいなくなった。大方、介護疲れだろう(被介護者にこんな言い方されたら頭にくるとは思うけど)。だからと言って追うつもりもないし、そもそもそういう人間がいたこと自体が奇跡だし、どちらかというと今の状態の方が自然なんだろう。介護と呼ぶ由来は、かつて第三者にそう詰られたから。漫画版のドラえもんんが未来に帰ったように、俺もいい加減に心から卒業して生きていかなければならないのかもしれない。

 

 重い話が続いたが、現状は客観的には好転してる。俺は着実に心を失いつつあるが、そもそも人間そんなもんでいいのかもしれない。心が死ぬと書いて忙しいし現代人はとにかく忙しい。心がないことを前提として社会は形成されている。

 

 

 

 

 

 本題。研究室の直属の後輩が心を開いてくれません! 

 もう研究発表の時期。どうにかこうにかして形を作らないといけないんだけど、直属の後輩君はイマイチな出来。ゼミの時に先生からちくちく言われていて、さすがにサポートしなければと思ってアドバイスするけど全部「…ん」の一声。目も合わせようとしない。多分本人も時期が過ぎるのを待っているのだろう。会社と違うからそういう態度でもなんとかなるから、雑なライフプランを選択している。それにしても、何も聞いてもらえないのはあんまりだ。もしかして彼もこのブログを見て「コイツはろくでもない奴だから口きかんとこ」ってなってるのかも…?

 ブログの件は冗談としても、何かしらからくる頼りなさを源流とした不信感が彼の中にはあるのだろう。

 

 自信、気遣い、正しくあろうとする態度、先輩という役割を演じようとする意識…。世間一般的な先輩に求められる要素を俺はかなりの数取りこぼしている。それらが集まって「コイツは頼れない、信じられない」という不信に変わったのではないか。俺にあると言える落ち度がコレ。

 

 正直、俺も今は責任のない学生の身分だから無理して後輩の面倒を見る必要なんてない。しかし、問題なのはこれから。働き出したら必然的に後輩を持つことになる。そのときに俺はきちんと連携を取ることができるのだろうか。そこが不安だ。

 

 

 後輩の見本にならなければならない。今までも学年が上がるごとに言われてきたことだけど、実行できたことはなかった。後輩ができても俺はミスを繰り返していたし規律違反も幾度となくしてきた。そんな人間が本当にいい先輩になれるのだろうか。少なくとも、これまでとは比較にならないほどの社会性を意識しなければならないことだけは確実に言える。

 

  

 まとめ。先輩というイスに座るためには、高い社会性が必要になる。これまで俺はコミュニティの一員として順応するために社会性を意識していたが、それを上回る能力が求められる。まだ一般的な社会性すら見についてないのに、あと1年で会得しないといけないのは大変だなあ。頑張れ俺。少なくともウジ虫話題だけはしないようにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雑おまけ。実のところ、コミュニティで活躍している人間が皆聖人かと言われるとそんなことはない。倫理観や能力、考え方が偏っているような人間も多い。その一点だけ見れば社会適合が難しいのではないかと言えるが、実際は長所や社会性でカバーできているからすごい。例えば、イジメ大好きな攻撃的人間や好きな人間以外全無視する人間、かなり雑な物差しを他人に当てている人間、すぐにキレる人間、全員見下している人間…。色んな短所を持つ人間がいるが、要所要所を演じられている名役者だからコミュニティという舞台から降ろされていない。大事なのは役割を演じること。でもそれが難しいんだよなあ。

 

 何が言いたいかっていうと、「コミュの中心人物だって悪いところあるし~」という論点すり替えた言い訳ではなく、長所短所のバランスを崩壊させるほど要所要所の社会性は大事であり、それができてない俺はいくら善人面しようが社会性積まなきゃダメってこと。

 そして、会社はトレーニングの場ではなく実践の場。だから、もう社会性を磨こうとして下手くそな演技はできない。現状だと会社ではおとなしくするのが正着。じゃあどこで鍛えるんだよ…ってなるけど、もう訓練の時期は終わったんだよなあ。

VS.女性向け漫画(加筆修正済)

 寝る前に書くブログってどうしても早く書き終わろうとして足りなくなっちゃう&いつもの思考パターンで雑になっちゃうんだよなあ。社会人になる前に見切り発車癖を治さないと。

 

 サブタイトルが漫画「ポケットモンスタースペシャル」みたいでいいね。ちょっと性別情報を雑に叩きつけて読者を煽るような今風炎上狙いしてるみたいで嫌だけど。内容はまあまあおもろいはずだから安心して。

 

 ジャブとして雑談から。一日テレワークした。学生のテレワークなんてサボりと同値なんだけど。いつもなら自分の作業机欲しさに研究室に行くんだけど、午後に眼科行く予定あったから。目的はコンタクトレンズの購入。結局視力検査とかこまめにした方がいい買い物になるからね。それでいつも利用してる眼科に行ったわけ。でも院長体調不良でお休み(少し心配だ)。はい、コンタクト頓挫。 これで何が起きるかっていうと、来週の飲み会にメガネで参加することに。都会に出かけて数年ぶりに会う面子…みんな輝かしい生き方をしてるだけあって、俺もカッコつけたかった。まあ、どうせ俺が小ぎれいにしたところですぐに虚勢剥がされて終わりだろうから、最初っからド陰キャ丸出しメガネでもいっか。見た目だけでも偽って「あの頃から成長しました」感を出そうと思ってたんだけどなあ…。 仕方なし。どうせなら3万円したメガネを自慢してくか。大丈夫、眼鏡自体はカッコイイんだ。俺が付いてこれないだけ。

 

 

 

 本題。普段からウジウジしてる俺だが、一丁前に欲はある。色んな欲が。そしてエロ漫画も読む(そんな下ネタ話さないと思うから身構えないで)。いつもはハチャメチャなものばかり読むのだが、今日は趣向を変えて女性向けのものを。専ら、読み始めてから「あっ、これ女性向けだ」ってことに気付いた。今日はその本のレビューと読んでいて生じた内省について書く。

 

 

 女性向け漫画の特徴。男女両方が出てくる3人称視点。男性向け漫画は基本的に一人称視点。なぜそうなるかっていう理屈はわかんないけど、実態としてそうなのだ。エロ漫画なんて星の数程あるワケだから反例ももちろんあるよ。でも俺が読んだのは男女どっちもガッツリ出てくるタイプのやつ。少なくとも作者は女性だろうな。

 

 作品の内容。短編集なのだが共通事項として内面に癖のある女とモテ属性のイケメンがイチャコラする。女の方は頑固だったり不器用だったり…って感じ。男の方は女慣れしてたり要領良かったりする。終始女側は受動的で、男の攻めっけに為すがまま。そして女は口ではどうのこうの言ってるがまあ、その実喜んでいる。経験のない俺でもすんなり受け入れられるような構造。んで、そういう作品を読んでいてどう思ったか。辛くなった。絶望した。

 

 

 作中の男がモテるには理由がある。第一。もちろん漫画だからだろうけど、容姿がいい。みんな小奇麗な服を着て髪型もウェーブがかかってたりガチガチにセットしてたり。床屋のオッサンに切ってもらった髪型の奴なんてどこにもいないし上から下までユニクロの奴も1万円しない靴を履いている奴もいないし髭脱毛をしていない奴もいない。そう、イケメンたる理由があってイケメンなのだ。

 よく「男は見た目じゃない」と言われるし俺も都合がいいからそう信じているが、実のところ見た目だ。先程挙げた敷居を越えて初めて人から男性に評価が変わるような気がする。もちろん高身長や整った顔を親からもらったギフテッドは別だが。

 「こんな僻み見飽きたよ~」って言う人もいると思う。だからこの項はもう終える。俺が恋愛なり交際なりをするにはまず、見た目を金十万と1か月程かけて調整しないといけないということに気が遠くなった。

 

 

 第二の理由。内面。作中の男達は必ずしも聖人ではない。むしろかなりエゴイスト。口に出すかどうかはともかく、周囲の人間に対する負の感情もポコポコ描写されている。行動も合わせるとクズと言われかねない者もいる。だが、そんな直情的な彼らはバカみたいにモテる。モテない人間にもそういった負の条件を満たす者は多そうだが、何が違うのか。

 自信。生まれながらにして持った「自分は正しい」という漠然とした立ち振る舞いや言動から醸し出される強者感。毅然としてるのだ。少し古い言い方になるが、雄なのだ。第一にまっすぐな雄であること。第二に容姿がいいこと。その次に口先のうまさ。それだけ。強い雄であることが魅力なのだ。

 そして、俺には圧倒的に内面が足りない。魅力という最も必要な条件を満たしていないことに気付き、滅茶苦茶辛くなった。ここらへんをもっと掘り下げていく。

 

 

 

 人間には魅力というステータスがあると俺は思っている。そして、魅力は内面の話だ(よっぽど容姿が優れていれば話は別だが)。大抵どんな人間にも魅力はある。俗に言う性格が悪い人でさえ、持つ人は持っている。自信を。自信というのは「自分はこういう人間です」と良さも悪さもアウトプットするために必要不可欠だ。むしろ自信がないと「僕はどんな人間なの~?」って周りに訊いているようなもので、周りからしてみればそんなこと知ったこっちゃない。だから、自信のない人間は得てして魅力がない。逆に自信のある人間からは魅力があふれ出ている。

 

 これは身の回りの具体例なのだが、俺の周りの男女両方からモテている人間の中で、聖人というのは実は少ない。大抵はドライだったり利己的だったり理屈的でなかったりする。理屈で考えた「誰からも好かれる/嫌われない人」とは全く異なる。だが、彼らには共通して確固たる自信がある。自分はこんな人間で自分の考えは正しくて自分はこのままでいい、そう思っている様子がありありと伝わってくる。そこから自信量が減っていくとモテる度合いも減っていって、グラフの端っこにいるのが俺ってワケ。

 

 この歳になるまで気付かなかったが、根拠のない自信というのは大事だ。というのも大抵の人間は自信に見合う根拠なんか持っちゃいないんだから。むしろ、根拠がないからこそ自信と俺は言いたい。いちいち根拠を探すような行為自体がナヨナヨして自信がないから。

 

 一旦まとめる。エロ漫画の男がモテる理由は容姿がいいのと自信があること。突き詰めて見ればこれだけ。というか自信がありありと見た目に表れているというのもデカイよね。

 

 そして更なるコンプレックスとして作中の男は女から出る仕草や態度、わずかな言葉からキチンと心情を見抜く。そういった光景は俺からしてみればとてつもないハイコンテキストな会話が行われているように見えた。 心の内を見抜いて、会話して…。もっと言語化してくれ~って思う反面、自分には得られなかった成長を経て彼ら彼女らはコミュニケーションモンスターになったんだなと。

 成長の機会損失によるコンプレックス。俺は交際という経験がないから心情についてやりとりを交わした経験も少なければ読み合いも下手くそすぎる。そして昔から変わっていないとう不安…。自分が悩んでいるのって失言をしたり疎遠になったりイジメられたりといったもっと程度の低い次元の悩みを繰り返してるだけなんだよなあ。いい加減成長したいと思って日々やきもきしてるし、きちんとしたリア充を見ると焦る。

 多分実際はそんなに心の深い読み合いや差し合いになることなんて少ないんだろうけど、いい加減自分も成長してそのステージに行きたいと強く思った。

 よく言うよね、いい歳して恋愛経験がない奴は脳内がガキのままでヤバイって。あれ俺ね。

 

 以上が今日エロ漫画読んでて気づいたこと。モテる構造とリア充非リアの脳の違い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここからは恒例の「どうして俺は~」コーナー。「こういうことばっか書いてるからいつまでたってもお前はモテないんだ!」ってみんな言いたいと思うけど我慢して。知ってるから。ブログを捨てよ街に出よだよホントもう。

 

 俺にはコミックとしての魅力以外がない。この場での面白いってのは変なこと考えたりしゃべくったりこんなブログ書いてる生き様だったりを見て笑えるってことね。俺だってこんな人間の半生をwikipediaで読んだら面白いと思う。ってかそういう本既にあったよな。阿Q正伝って言うんだけど。

 

 こんなこと言うと「あんたのこと好きな人間に失礼だろ」と自分でも思うが、実のところ俺に好意的に接してくれている人の殆どは「コイツおもしれ~」だけでファンになってもらっている。お笑いのファンと同じなんじゃないかな。現にこのブログで書いているようなことを話すと9割はぴゅーっといなくなってしまうだろう。

 特に俺は女から好かれたことは人生で一度もない。面白マンとして好かれたことはあったかもしれないが、性的魅力なんてのからは程遠く、介護のような会話しかさせてはもらえなかった(無料でキャバクラだと思えば少し得か?)。こうなった理由は前述したとおり、魅力不足だろうから納得してる。

 

 

 いやいや、面白いならそれでいーじゃん!って明るい人なら言ってくれるだろう。だが、俺の面白さというのは人工なのだ。俺の思想と思考によって作られたギャグやボケ、生き様。作ったものでしか評価されていないというのは悲しい。わかりやすく言うと…ゴッホはなあ、人物が評価されてんだよ!絵はそうでもないんだよ!、の逆。 

 そもそも金の卵を産む鶏として評価されているだけでありがたいのだが、俺は贅沢なことに「ありのままの俺を誰か好きになって~!」と走り回っているのだ。だからこそこんなブログを書いているというのがある。 ちなみに後輩からは「あんなブログ/あんなtwitter」なんて言われていた。糞を愛食する異常者を探すために糞を垂れ流しにしているようなことしてるからしゃーない。俺のアイデンティティがそれぐらい癖強いってだけだから。

 

 

 脱線したが、やっぱり俺は現状面白マシン以外の魅力を殆どの人に感じさせたことがない(主観判断だから全く尤もらしさがないけど)。こんなブログを書くくらいに自信が欠損してることがデカい要因になってる。おまけに人間関係が進展しないから成長していないというモンスター仕様。 多分治すには自分を聖人化させることよりも(結局演じてる自分しか愛されなくて堂々巡り)俺を好きな人ができるのが一番なんだろうけど、失敗したことがいまだに尾を引いている。演じればいいのか堂々と本音で話していいのかわからん。ただ、最近は演技の仕方も本音の出し時も全てが周りとかみ合ってないような気がして参っちゃってる。

 

 うーん、自信ってのがゲシュタルト崩壊してるな…。正直かなり俺自身は頑固者だから決めつける側面で自信はあるんだろうけど。他人を自分の物差しで測ることに抵抗が小さいし(よくコレをやたらめったら批判する人いるけどじゃあお前はそんなに立派な物差しを持ってるのかって言いたくなる唯物論VS観念論の構図)。

 多分、自分の都合の良いように考えるのが苦手なんだろうな。もっともらしさの方を優先するしリスク計算して安パイしか取らない。いい人ぶって自我を押し付けない。誰かと遊んでいて「もっと遊びたいでしょ」と思うか「もう相手は帰りたがってるかもしれない」を並べて考えた挙句「この後どうする?」なんて訊いちゃう。どちらかというと自分に都合の悪いように考える癖があるまである。見え見えの保険だ。期待して裏切られるのが怖いから期待しない手法。俗に言う人間不信。なるべくしてなったから仕方ないといえば仕方ないけど。

 

 

 

 はい、聞き飽きたような流れに合流したので今日はここまで。もっと堂々と自我を押し付ける強い雄になることがメソッド…なんだけどオリジナル個性にも問題あるから茨の道だよなあって話。 以上。

脳フィルターの危うさを

 雑談。今日はたっぷり暇だったので、カフェ作業。別に学校でも良かったんだけど、小説に着手するための気合入れとして。おかげでザっとしたプロットは書けた。

 あとはwordファイルに打ち込むんだけど…いかんせん縦書きなんだよなあ。意外と人ってモニタをチラチラ見ていて、このブログをノートPCで編集していたとしても見られたりする。俺からしてみれば遠目で見たところで何書いてるかわかんないと思って油断してたんだけど、どうやらみんなばっちり本文まで読みこむものらしい。…少しそれたけど何が言いたいかっていうと、縦書きで小説書いてたらまず間違いなくガン見されてゴチャゴチャ思われるってこと。別に他人がブログだろうが小説だろうがAVだろうが何やってもいいだろって思うけど、みんなはいかんせん気になるみたいで。まあ、小説を書いている人間なんて「自分面白いです!」って言ってるようなもんだから、見ててむずがゆくなる気持ちはわかる。

 そんなこんなで小説を書きにくい理由こそあれど、時間と感性のある今にこそ形にしたいな。

 

 

 

 本題に入る。と言っても短いんだけどね。主観と客観の話。

 知り合いがネット上で「主観フィルター通さないようにしたいけどムズイ」って旨のことを言ってて、俺にも案の定グサリ。

 要は色眼鏡ですよ。俺は実はあんまり考えたことがない。このブログを読んだことのある人は分かると思うけど、別に俺って抽象的すぎることとか一般性の高いことってあんま考えないんだよね。主観と客観もそのうちのひとつで、「主観は切り離せないんだから別によくね?」って開き直ってたりする。だから、自分の瞳をカメラのレンズに近づけようと頑張ってる人は尊敬するし「すげーことしてんな」って思う。

 

 とはいえ、いきすぎた主観は怖い。今回俺に刺さったのも「俺ってもしかして誰からも共感されないようなとんでもない色眼鏡持ってるんじゃ?」って懸念があったから。自分の考えにはそれなりの理屈を盛り込んでるつもりではあるんだけど、エセ科学に積み込まれた理論風ギミックのようなものなのかもしれない。正当化するためだけに内側に設けられた歯車とバネ。最大公約数的な人間が見たら「こんな理屈は玩具だよ」と言われそうな脆い理屈。たとえそうなっていても自分では認識できないから怖かった。これがブーメランの刺さった所以。

 

 

 みんなが主観で生きてる、そして完全な客観なんてのは存在しない。世間一般的な客観とは、その場にいる人間の最大公約数のこと。主観を客観に捻じ曲げていくというより、最大公約数を意識できると良いのかもね。個がどうこういわれてるけどまだまだ世の中は群れだからよ。

 元ネタの人は多分自分の色眼鏡を認識して気持ち悪く思ってるだけだから、だいぶ話違いなんだけど。俺はそこまで自分の眼に潔癖にはなれないや。ただ、明らかに主観で解決して社会不適合してるシーンはあるからなんとかしなきゃねってだけ。終わり。