下ネタは苦手だけど糞土方は大好き

 今日、ここ数日で小説の一部を書き上げてコロナ隔離中の友達に送った。あほらしい夏休みの使い方だと思うが、そこそこ充実感がある。1章書き上げるだけで1週間や1ヶ月余裕でかかってしまうのは、まだ書きなれていないからだと思うからこれからどんどん書こう。1巻分できたら新人賞とかに出してみようかな。

 

 

 さっき後輩のノートパソコンで「どぶろっく」というお笑いコンビのネタを見た。その芸人のネタは、日常生活に溢れた下ネタを歌うとったものだ。彼はそういうのが大好きらしい。彼のオススメを見せてもらったから、一応俺もということで俺の下品なネタで大好きな「変態糞土方」を見せた。ドン引かれた。終わり。

 

 引かれたのは普通に下品過ぎたからだろう。そして、共感が全くできないというのもああると思う。変態糞土方とか野獣先輩とかのジャンルは、マネしてできるものではない上に想像するのも難しい。糞を体中にぬりつけたり糞を食うことがコミカルなアニメーション上で行われている。どぶろっくとは大違いだ。

 

 変態糞土方なんて下品過ぎるものが好きな俺だが、実は俺は下ネタが苦手だ。なんか、安直なアルアルネタに下品さを加えていて面白さが半減する上にリアリティがある分共感して気分が悪くなる。

 じゃあ、なぜ変態糞土方なら大丈夫なのか。多分自分と関係ない次元だからだ。対岸の火事は見ていて楽しい。だが、自分の岸で火事が起きるのを想像するのは勘弁だ。SF漫画みたいなものだ。これがもしスカトロ系のAVだったらこんなに好きになっていないだろう。俺は下品過ぎるなネタをSFとしか思っていない、という訳だ。そして、あるあるな下ネタは共感してしまって辛い。これは個人の共感性の問題である。変態糞土方が苦手な人は、全く理解が及ばないか気持ち悪くなるくらい共感してしまうののだろう。

 

 面白さとは共感と意外性の組み合わせだと俺は思っている。下品な物に対しておれは意外性の比率が高い方を好む。下ネタが苦手な人全体についてまでは言及しきれないが、この手のネタの好き嫌いには共感性の高さと、面白さにおける共感性の比重が強く関係している、そう思った。