本気でやる方が面白くなるんじゃないかって話

 1週間ぶり?2週間ぶり? サボってた。書きたい事はあれど脳内でストックしながらサラサラ零れ落ちていく感覚。面白いことはチョコチョコあるので書いていこうと思う。

 7月23日にキャンプに行った。解散したサークルのメンバーと1泊2日だ。長距離車移動+キャンプというハードスケジュールに不安がっていた俺だが、幸いなことにメンバーが仲の良い面子だけ集まったりドライバーに恵まれたりしたお陰で楽しい旅になった。みんながみんな楽しもうというモチベーションを高く持っていたというのが成功の秘訣だろう。全員の顔から伺えた。誰かしらが「虫やだ~」とか「なんでここにしたの?」とかカスみたいな言動や態度を取らなかったことで惨劇は回避された。この成功を糧に、現実でももう少し楽観的に頑張ろう、そう思って俺の週末は終わった。

 

 月曜日に待っていたのはやる気のない面子だった。俺が自作スライドをスクリーンに映して解説をしている時の周囲の様子からそう思った。俺は月曜朝1でプログラミング演習のTA(教師補助)をやるのだが、扱うのがフォートランの初級レベルという実態だからか、学生のやる気が全然感じられない。それもそうだろう。世間でプログラミングと言えばpythongithubjavaとかだ。多くの企業のエンジニアインターンや新卒募集の要項で「必須条件」に挙げられていて萎える。世の中のエンジニア部門は他の言語をバリバリに使えて当たり前なのに我が大学ではスキルの欠片にもならない言語で行列計算させてオシマイ…。学生達も呆れて提出課題(ソースコード)を教え合っている。

 教える教員もやる気がない。それもそうだ。実際の研究で1ミリも使わないのだから。TAもやる気がない。バイトだからそりゃそうなんだけど。

 やる気がないのは授業だけではない。火曜日には輪講発表(読んだ論文の発表)の練習会があった。4年生が発表するのだが、肝心の4年生は遅刻するわカラオケばりに退室するわ人の発表中にスマホみるわ最悪だった。発表自体も、前回に指摘された箇所を直していない等散々だった。本番が心配になった。

 

 

 木曜日に輪講の発表会があった。これは他の研究室と合同で4年生がスライド発表をするといったものだ。発表の後には、学生が中心となって質問をする時間が設けられている。実は俺は今の研究室には院生になってから配属されたから、その場の雰囲気というものが分からなかった。だが、本番の発表中にスマホを弄ったり寝たりするこいつらはおかしいと感じていた。加えて、俺はある種不安を感じていた。そして、不安は見事に的中した。

 学生が全く質問しないのだ。進行役の教員が「何か学生から、ありますか」と何度も言うが学生はみな下を向いてダンマリを決め込む。耐えかねた教員は適当に学生を指名する。指名された学生はしばし時間をかけてカスみたいな質問を作って投げる。最悪のパターンは何も思いつかない時。気まずい時間がしばらく流れて「じゃあ、先生方から…」と諦められる。マトモに聞いてないから何も気にならない。だから、何も言えない。

 俺はそういった気まずい時間を減らすために、いつもより注意深く聞いてたくさん質問した。第一の目的はみんなのためであったが、第二の目的は「嵐が過ぎるのを待つ」「嫌々発表して嫌々発表を聞く、質問タイムが過ぎるのを待つ」というその場の態度が気に入らなかったからだ。非生産的すぎて見ていられない。

 少しは未来を変えられただろうか。発表会が終わった後にコンビニに足を運ぶ。すると、先程まで発表会にいた院生とバッタリ会った。そして、開口一番にこう言われた。

「お前、バリ質問攻めするやん」

 まず、東日本に来てまで関西弁を使うのが気持ち悪くてたまらないのだが、コイツの態度が一番癪に障った。コイツは院生の癖にして他人の発表中に寝たりスマホいじいじしたりやりたい放題だった奴だ。オマケに何も質問していない。コイツにはあのジメジメした圧力が感じられなかったのだろうか。素直に反論することにした。

「いや、あの雰囲気は無理にでも質問しなきゃでしょ」

「いや、去年からあんな感じやで?」

 嘘だろ…。毎年あんなに非生産的なイベントをやっているのか...。教員も学生も院生もみんながやっつけ仕事をよくもこう毎年もやるものだ。あんなの時間の無駄なのに。

俺は衝撃の事実に閉口して彼との会話を終えた。

 

 

 輪講をやっている研究室や講座、有志はたくさんいると思う。態々交互に発表する理由は、効率よく勉強するためだ。まず、発表者は難しい論文から重要な情報を抜き出す。論文を斜め読みするだけでは得られない学習量を発表者はこの段階で学べる。そして、精錬された発表を周囲の人間は聞くことによって凝縮された知識を学ぶことができる。わからなければ発表者に質問できるというのもいいポイントだ。発表者側、質問者側、双方のやる気次第で面白くなるのが輪講である、と俺は思っている。

 このように、輪講という行為自体には大いに価値がある。だから、いろんな大学のカリキュラムに指定されているのだろう。しかし、現状として輪講にはある問題点がある。勉強することが研究と関係なければ意味が薄いのだ。体裁としては「たくさん勉強できていいね」と繕っているが、研究と直にリンクしていないと「無駄話聞いた」という評価になってしまう。だから、ウチの学生は輪講にやる気がないのだ。これが問題の真相。

 

 今回は「楽しもうと思って頑張った旅行でみんな楽しめた」というエピソードと「適当にやろうとして地獄みたいになった輪講発表」というエピソードを対比したことで「本気でやった方が面白い」という一般論を言おうとした。説教臭さが鼻につきそうだが、これは本当に大切なことだと思っているからわざわざ書いた。言い方を変えると、流れる時間に付加価値を与えた方が人生楽しくなる。というか価値が見いだせてくる。エネルギーはそれ相応に消費するけど。

 こんな辛酸を舐めていない若造の言っている言葉がねじ曲がらないことを祈る。社会が人を簡単に殺すというのは、過労死を告げるニュースで嫌というほど実感している。世の中がクソだからこそ、面白く思えるように動かないと益々死にたくなる。

 穴をひたすら掘ってまた埋めるような仕事に僕が就いてもなお、こんなたわごとを吐いていたら流石に信じてあげてください。